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海紅山房日誌

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芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

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母老いて窓越しに追ふ秋の蝶
日向ぼこ居眠る母の髪を切る
門火焚く母と戦時の父を待つ
童心に返りて母もカルタとる
お彼岸を忘れし母のあどけなく
嫁の名を忘れて母は長閑なり
つばめ来て母点滴を外しけり
退院の母を迎へる山桜
呆けるとも母は母なり鰯雲
初めてのショートステイやちちろ鳴く
背の母の意外に重き小六月
要介護3に進みて月おぼろ
転院の母のせてゆく枯木径
秋茄子や白寿間近い母とゐて
白酒や白寿の母のはんなりと
春眠のごとくに母はめされけり

▶▶▶斎藤惑句集『秋の蝶―母を詠む』。白寿で天年をまっとうした母を詠んだ息子の私家版。平成19年(2007)自序。「はじめに」とする自序に、その穏やかな死、棺には昔好きだった着物や大事にしていた女学校のお裁縫の教科書、晩年に愛用の三本の杖、そして作者が詠んだ母の句を納めたことを記す。作者は東京工業大学を修めた学識を以て企業で活躍され、退職の翌年(平成12年)から俳句をたしなむが、振り返ると母が貴重な俳句の題材であったという。現在海紅が庵主をつとめる無花果句会のメンバー。こうした句集を編む意図や手作り感には与謝蕪村等が編んだ追善集のおもかげがあって、しみじみと読み終えた▲なお、無花果句会は昭和21年 作家井本兀山人(青木健作)が〈終戦直後の一般的な虚脱と混濁のさなかにあって せめては清純な清水に渇を癒やしたい〉と願って家族をまじえて発足。歴代庵主に井本農一(二代、茫亭) 、高藤武馬(三代、馬山人)、 青木幹生(四代) 井本商三(五代、田痴)があり、平成19年より谷地快一(六代、海紅)がつとめる▲平成19年編纂の本書が10年後に恵与された理由は、最近(4月後半)の「海紅句抄」(芭蕉会議website)に「川風に蝶にしたがひゆくばかり」が上り、それに対して、実母を亡くしたときの思いを綴る、つゆ草氏のコメントを読んだことに刺激されたからだという(海紅宛惑氏私信)。

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by bashomeeting | 2017-05-07 11:22 | Comments(0)
 鴨長明の『発心集』の序は「仏の教へ給へることあり。〈心の師とはなるとも、心を師とすることなかれ〉と」と始まります。新潮日本古典集成の校註(三木紀人)によれば、広く経論に説かれる心得のようですが、直接には源信(恵心僧都)の『往生要集』から学んだ戒めとされています。拙訳を示せば「自分がひそかに抱く感情や考えは、それを制御することが肝要なのであって、ゆめゆめそれ(自分の感情や考え)に支配されてはならない」となります。

 実は、わたしにとっての詩歌はこの一節にほぼ同じで、「わたしの感情や考えは愛しい存在ではあるが、畢竟わたしという人間(human being)の働きの一部であり、全体ではない。全体が一部に翻弄されることを、わたしは望まない」と自ら言い聞かせています。感情や考えを正直に表現できたと思っても、それを詩歌とはいわないということです。いや、果たしてどのような秤にかければ、自分の感情や考えに忠実だとわかるのだろう。そんな便利な道具があろうとも思えません。

 ところで、芭蕉は『荘子』を踏襲して、自分の身体を百骸九竅(多数の骨と九つの穴)と把握し、そこにひそむ「心」を仮に風羅坊と名付けます。命名の理由は、「わたしの心」という奴は羅(薄物、夏向きの着物)に似て、風が吹くと破れてしまいそうなほど弱々しいためだといいます。この「弱さ」が芭蕉を俳諧という文芸に走らせる。実はその「弱さ」によって、俳諧を投げ出そうとしたり、逆に仕事にしようと努力したり、仕官して社会的地位を求めようとしたり、仏道に帰依して悟りを得ようともしたが、ひとつもものにならず、結局、俳諧の世界だけが残ったようです。

 俳諧のどこにそんな価値があったのでしょうか。それは、天然自然を規範に、四季の移り変わりを「心の師」として、「心」を解放してゆくところであると思います。芭蕉は、それが和歌で西行が、連歌で宗祇が、絵画で雪舟が、茶道で利休が求めた世界に等しいと信じていたようです。この「心」の解放こそ、芭蕉がたどり着いた「軽み」であると、わたしは信じています。ポール・ヴァレリーは「羽毛のようにではなく、鳥のように軽くなければならない」(『文学論』)と書いています。総体、つまり生きた人間としての「軽み」という点では、仏道も芸道も文学も変わりないとはいえないでしょうか。
 「心」を天然自然にひらいて、昨日までの自分とは違う新しさを見出してゆく、俳諧表現をそのようなものとして見直していただくことを願っています。

▶▶▶教師だからといって、問われもしないのに答えるのは難しい事柄もある。これは最近、親しい友人から「結局、表現として、私には俳句は向いていないとつくづく感じています」という便りをもらって、これは穏やかではないと感じて、はらわたを絞って整理したものである。ここに示した芭蕉の俳諧観は主に『笈の小文』冒頭の一文に拠っている。また芭蕉が「風羅坊」という主役にこめたイメージは、「芭蕉野分して」詞書(天和1)、「乞食の翁」詞書(天和1)、「歌仙の讃」句文(天和期か)、「芭蕉を移す詞」(元禄5)などで深めることができる。ついでながら、草庵に植えてもらった芭蕉と向き合いながら、その破芭蕉(やればしよう、秋季)の姿を自分に重ね、「ただ、この(芭蕉の)陰に遊んで、その風雨に破れやすいところを愛するだけ」(芭蕉を移す詞)という世界観については『撰集抄』(巻6、12話)に先例が見えることを附記する。

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by bashomeeting | 2017-05-03 09:47 | Comments(1)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


by bashomeeting