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発表「日本語と季節感」(初年次ゼミ)で学生が紹介した句

梅恋ひて卯花拝むなみだ哉     芭蕉
卯の花も母なき宿ぞ冷まじき    芭蕉
卯の花や暗き柳の及び腰      芭蕉
卯の花や盆に奉捨をのせて出る   漱石
→奉捨は報謝。仏への感謝の意でいわゆるお布施。
虹立ちて忽ち君のある如し     虚子
虹消えて忽ち君の無き如し     虚子
向日葵が好きで狂ひて死にし画家  虚子
向日葵を画布一杯に描きけり    虚子
→上記二句は実朝祭(短歌大会)における句。画家はゴッホ。
狂ひつつ死にし君ゆゑ絵の寒さ   秋桜子
→向日葵の発表の際の参考句。画家佐伯祐三の遺作を詠む。
白雨にはしり下るや竹の蟻     丈草
山水に米を搗かせて昼寝かな    一茶
張り通す女の意地や藍浴衣     久女
野を横に馬牽きむけよほととぎす  芭蕉
足首の埃たたいて花菖蒲      一茶
わが恋は人とる沼の花菖蒲     鏡花
狩衣の袖の裏這ふ螢かな      蕪村

牡丹散りて打ち重なりぬ二三片   蕪村
耳際に松風のふく夜長かな     一茶
星月夜罪なきものは寝の早く    蓼汀
星月夜空の高さよ大きさよ     尚白
稲妻を手にとる闇の紙燭かな    芭蕉
稲妻のかきまぜて行く闇夜かな   去来
露の世は露の世ながらさりながら  一茶
日は西に雨の木ずゑや渡り鳥    野坡
色付くや豆腐に落ちて薄紅葉    芭蕉
古寺に灯のともりたる紅葉哉    子規
夜窃かに虫は月下の栗を穿つ    芭蕉
→表現の骨格は「春風暗剪庭前樹/夜雨偸穿石上苔」(傳温・和漢朗詠集・風)を真似る。この詩句は「春風はそらに庭前の樹を剪る、夜雨はひそかに石上の苔を穿つ」と読み、「春風はひそかに庭木に鋏を入れ、夜雨はこっそりと庭石の苔を打っている」という意で、春の庭先の美しさを描く。それを秋に転じた。
七夕や秋を定むる夜のはじめ    芭蕉
菊の香にくらがり登る節句かな   芭蕉
→「くらがり」に暗峠・暗闇を掛ける。
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉     漱石
蜻蛉や取りつきかねし草の上    芭蕉
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 芭蕉
河豚汁や鯛もあるのに無分別    芭蕉

▶▶今年のクラスは人数が多くて、例年通りのゼミ展開がむずかしく、「日本語と季節感」というテーマで任意に季題を選んでもらい、その言葉の歴史と、言葉の本意にふさわしい例句について口頭発表してもらった。なかなかな選句眼とほめておく。

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by bashomeeting | 2017-09-29 11:11 | Comments(0)
 台風18号はまだ九州にさえ上陸していないのに、茅屋のある関東は早くも影響をうけて、昨日から雨が続いている。雨も嵐も好きだが、台風被害にあっている土地のことを思うと、素直に口に出せない。そんなことを考えながら、昨夜の就寝前は玄関先にしゃがんで雨を聞いていた。
 静かな雨音を縫って鉦叩が聞こえてくる。今年初めての鉦叩だと思うと嬉しい。「チンチンチンと鉦を叩くように鳴くが余韻のある音ではない」(『角川俳句大歳時記』)というが、大きな御世話である。余韻は人それぞれであって、誰かに決めてもらうものではないだろう。

この人の聞いて居りしは鉦叩    素十(『初雁』)

 今夏は7月末から8月初めにかけて、3泊4日で敦賀に出掛けた。『おくのほそ道』の集中講義である。前泊に向けて米原で新幹線から北陸本線(琵琶湖線)に乗り換え、余呉駅を通過するころは夕闇であった。ボクは車窓の奥に見える余呉湖に目をこらして、次の句を反芻した。

鳥共も寝入つてゐるか余呉の海   路通(『猿蓑』)

 芭蕉晩年の目標であった「軽み」の中に、「細み」という美学があって、芭蕉は路通のこの句をその例として説いている(『去来抄』修行)。ボクは芭蕉の言説が「夜の静寂に包まれる水鳥たちに作者の孤独が投影されていることを指摘している」(「俳諧の余情」、俳句教養講座2『俳句の詩学・美学』所収)と書いたが、同じことは次のような句にも指摘できると思っている。

行く秋や手をひろげたる栗のいが  芭蕉(『続猿蓑』)
此道や行く人なしに秋の暮     芭蕉(『笈日記』)
秋深き隣は何をする人ぞ      芭蕉(『笈日記』)

鉦叩きいて居りしが寝つきたる    海紅

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by bashomeeting | 2017-09-17 20:22 | Comments(0)
 《わかった句》〉
ねこじゃらし誰か遊んでくれないか(青丹与志昭和手鑑)
枕木の昭和の傷のあたたかし(青丹与志昭和手鑑)
動かざることも戦い牛蛙(紅柄格子独吟句合)

 《わからなかった句抄》〉
冬瓜のごろ寝百年考える(青丹与志昭和手鑑)
良夜かな千夜一夜の第一夜(黒日傘婦女庭訓)
羽抜鳥風のたまごを産み落とす(紅柄格子独吟句合)
榠樝の温み生まれなかった赤ん坊(紅柄格子独吟句合)
平成太郎摺り足でゆく恵方道(金鯰AI艶聞)
桐の花手を振る母に顔がない(偐紫今様源氏)

▶▶鈴木砂紅句集『偐紫今様源氏』。河合凱夫、大坪重治、松井国央、松田ひろむ、安西篤らの指導を受ける。現代俳句協会会員。「あとがき」に「年代は関係なくテーマ別の五章立てとした」とあり、目次に「青丹与志昭和手鑑」「黒日傘婦女庭訓」「紅柄格子独吟句合」「金鯰AI艶聞」「偐紫今様源氏」という章題を掲げる。文學の森、平成29年6月刊。

 自分史のように成立順に並べる句集の多い昨今の傾向に反して、本書は、目次を見るだけで、いかにも趣向豊かな編集意図を持つことが想像できる。すなわち、「青丹与志昭和手鑑」はアオニヨシショウワノテカガミと読んで「平成から昭和を照射した作品群」、「黒日傘婦女庭訓」はクロヒガサオンナテイキンと読んで「自分も含め「おんな」を見据えた作品」、「紅柄格子独吟句合」はベニガラゴウシヒトリクアワセと読んで「文字通り二句ずつの句合」と説く。判詞のない一種の自句合(ジクアワセ)だ。「金鯰AI艶聞」はキンナマズジンコウチノウコイバナシと読んで「平成から未来へのイメージを構成」、「偐紫今様源氏」はニセムラサキイマヨウゲンジと読んで「『源氏物語』を下敷きにした作品だが、題詠というより物語の中を歩きながら作った「吟行句」として読んで頂きたい」とあり、「千年の昔の世界をいろ・かたち・におい・おとを捉えながら、それを現代の風景としてどれだけ書けるかという自分なりの挑戦」であるという。「現実から遊離した俳句への批判ももちろん覚悟している」と書いて、悪びれるところはない。

 また添え状に「正岡子規の『俳句』提唱から今日まで、俳句は様々に変容しながら江戸俳諧の面白さをどこかに置き忘れてきたのではないかと、私は思っています。それを俳句に何とか取り戻せないだろうかと念じつつこの句集を作りました」と意気軒昂。

「その試みは実現できたのか、まだ遠く及ばずなのか、その答えを知りたくて」、俳諧研究者にも進呈するとあって、研究室に届いていた理由も判明。にもかかわらず、読後に胃の腑に落ちたのは上記《わかった句》三句と限られて、申し訳ないこと限りなし。ボクも、源氏・平家をはじめ、方丈記も徒然も手当たり次第に古典を読み漁って40年。読書では他者にそれほどヒケヲトラナイはずなのだが。

 おわびに、以下に少し私的な文学史観を附記する。
 ボクは現代俳人が時々口にする、「古典俳諧と近代俳句の要因は別物である」という見解を支持しない。不勉強きわまりないとさえ思う。だから、境涯を言い立てて、作品を論じることをおろそかにする、子規以降の近代俳句史に疑義を呈し、糺そうとする意欲を斥けない。なぜなら、近世(江戸)という時代の俳諧自体が、和歌や連歌の伝統への反措定という側面を持っているから。
 しかしながら、近現代という時間はたかだか150年であるのに対して、近世は約270年に及ぶ。その俳諧の歴史は和歌や連歌を乗り越えてきた時間である。その立役者はやはり、どうしようもなく芭蕉であり、その成果は現代に持ってきても、その先端をゆくと思う。言い替えれば、明治以降の近代俳句史は、芭蕉の到達点に学ぼうとする謙虚さが欠けていたために、遠回りして、近世の俳諧史をもう一度繰り返しているようにさえ思う。
 だから、近代俳句史に挑戦しようとする強者は、伝統俳諧の継承者である子規とか虚子とかではなく、伝統俳諧の大成者である芭蕉を敵にまわして論じるべきだし、論じてほしいのである。

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by bashomeeting | 2017-09-17 20:14 | Comments(0)
 比較的時間に余裕のある夏休みに、卒業生と年に一度の旅をする。今年もその日が近づいた八月の半ばに、さて少し旅心を養おうと考えて、昨年の磐梯熱海(郡山市熱海町)の記録を掘り起こしていたら、iPhoneで撮影した吉永小百合さんのポスター写真が出て来た。
 なぜこんなものを保存していたかというと、そこに芭蕉さんが言いそうな「大人はずっと旅の途中。」というキャッチ‐コピーがあったからだ。「大人になったらしたいこと。」とか「大人の休日倶楽部」とか、ずいぶんウルウルさせるコピーも添えてある。
 ボクはしみじみして、いつしか「さよならは別れの言葉じゃなくて/再び逢うまでの遠い約束/現在を嘆いても胸を痛めても/ほんの夢の途中」とつぶやいて、これは作詞が来生えつこ、作曲が来生たかおの「夢の途中」)という恋歌であって、「旅の途中」とは無関係であることに、しばらく気づかなかった。そんな呆けに一定の判決を下すまでは捨てられないと思っていたようだ。

 ところで、今年の旅は地方在住のメンバーの希望で、横浜の「港の見える丘」に宿をとり、炎天と秋雨の二つの楽しみを味わった。旅の友にと考えて、横浜ゆかりの佳句をさがしたが、歳時記類から眼鏡に叶う句を探すのは至難きわまりなく、以下の四句と淋しい結果に終わった。

海にすむ魚のごと身を月涼し      星布
元町の髪結所ほうせん花     角田 睦美
夕月を見に横浜へ汽船を見に   京極 杞陽
秋暑し立ち働きの起重機船    鷹羽 狩行

 このたびの横浜はグループ見学だったので、今まで立ち寄ることのなかった「横浜人形の家」や「大仏次郎記念館」を見学できたことが収穫。県立神奈川近代文学館の企画展は角野栄子の「『魔女の宅急便』展」で新しい視野がひらけたし、久しぶりの「氷川丸」入艦で学んだ歴史は有益なものになると思われた。旅の途中、夢の途中はもうしばらく続くにちがいない。卒業生に感謝である。

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by bashomeeting | 2017-09-08 17:40 | Comments(0)
 高等学校と大学との結びつきが強まる御時世になって、大学ではどんなことを講じてるのかを、高校生に話して聞かせる仕事がたまに入る。このたびは仙台日帰りの出前講義だった。参考までに、その内容を要約しておく。

 土地柄を考慮して、タイトルは「『おくのほそ道』と仙台」。旅を日常として生きた松尾芭蕉の晩年。その最大の産物である創作『おくのほそ道』が何を描いた作品なのかを伝えよう。そのために、仙台という土地が、いかに大切な舞台であるかを話そうと思った。用意した配布資料は、『おくのほそ道』本文のほかに、「芭蕉の生涯における『おくのほそ道』の位置付け」「『おくのほそ道』の訪問地」「芭蕉の旅支度」「行脚の目的」であった。
 しかし、手始めとして教科書などで『おくのほそ道』に出逢った経験を聞くと、八割ほどはほとんど反応がない。
 そこで、まず世の中には都鄙(雅俗)という構図があること、つまり経済発展や文化生活において抽んでている中央と、そうではない地方とに分けられることを説いた。すなわち都鄙の都(ト)は京都で、鄙(ヒ)は直感的には鎌倉だが、時代が進み国が膨張するにつれて鄙の地域は拡大することを前置きした。
 その上で本題に入り、この旅で芭蕉がめざした土地は、古くはその鄙(ヒ)の概念からも遠く、「みちのく(陸奥)」つまり「道の奥」と把握されていた未開の地であった。それで『おくのほそ道』というタイトルが付けられた。「奥の細道」の名が仙台と多賀城を結ぶ七北田川沿いの古道に残っていることが嬉しいと話す。
 また、この未開の地は遠方ゆえに、都から見れば主情的(emotional)な世界でもあって、和歌に詠まれて歌枕伝統の一翼を担う。勅撰集を見れば〈東北の土地で〉、あるいは〈東北の土地を〉詠んだ歌がたくさんあることに気付くだろう。この古歌に詠まれた土地を歌枕という。仙台の章段でいえば宮城野・玉田・横野・つつじが岡・木の下などがそれであると説いた。
 寛文九年(1669)以降、伊達藩は領地整備を目的に、歌枕の地を特定する事業を展開。「年比さだかならぬ名どころを考へ置き侍れば」(『おくのほそ道』宮城野)といって、芭蕉と曽良のガイドを務めた加右衛門(画工・俳人)はその事業に加わっていた人物である。この人物を芭蕉は「心ある者」「風流のしれもの」と高く評価している(『おくのほそ道』)。エモーショナルではあるが、和歌や伝説の世界で粗野な扱いを受けてきた陸奥に、このような風流佳人を発見し創造する、これが芭蕉行脚の目的であり『おくのほそ道』の世界であった。こんな話をした。

 終日秋雨で、散策もままならない。仙台駅で末長海産の「ほや・牡蠣・帆立」を買って、電車を早めて帰途についた。
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by bashomeeting | 2017-09-08 13:05 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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