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 「春場所」は大相撲の「三月場所」の通称である。これを季題と認定する歳時記と、まだ季感の定まらない題目として立項しない歳時記とがある。それぞれ見識ゆえ、どちらも否定しないが、芭蕉の「季節の一つも探り出だしたらんは後世によき賜物」(『去来抄』故実)という言葉に寄り添えば、季題として挑戦する意欲を排除してはいけないだろう。

 相撲(角力)に即して、季題と歳時記について復習しておこう。これは「張り合う」「抵抗する」という意の動詞「スマフ(争ふ)」の連用形の名詞化。神事(奉納・占い)と結びついて様式化する歴史を持ち、毎年旧暦七月に朝廷で行われる公事(公務・儀式)として定着。すなわち相撲節会(すまひのせちえ)である。旧暦七月は初秋だから秋の季題となって、後世も秋祭りの社寺で行われたので季感を損ねることはなかった。今も拍手(かしわで)を打ったり、注連縄(しめなわ)をするのは、室町期に教義を確立して白川家(朝廷祭祀を世襲した公家)との地位を逆転させた吉田神道家の仕業か。江戸期には勧進相撲(資金集め)を経て職業化し、年間の場所数は時代の煽りをうけて一定しないが、現代は一月場所(初場所)、三月場所(春場所)、五月場所(夏場所)、七月場所(名古屋場所)、九月場所(秋場所)、十一月場所(九州場所)の全六場所である。なお蛇足ながら、これは興行化が進んだ結果であるから、「季節の一つ」として俳句を探りだすためには、国技とか神事などと言挙げしないほうがよい。それは相撲節会の昔のことなのだから。

 俳句歳時記は広い意味における歳時記の一種であって、この二つは同じものではない。歳時記の歳時とは歳象・時事という二つの言葉の合成である。その歳象は春夏秋冬の、それぞれの季節らしい景色(風光)で、時事はそれぞれの季節らしい人間の生活(人事)のこと。だから、歳時記はそれらを解説した百科全書とみてよい。その俳句版が俳句歳時記である。しかし、四季の変化は土地によってズレがあるし、人の暮らしも変わり続けることを踏まえると、どれか一冊あれば永久に役立つというものでもなさそうだ。俳句歳時記は常に新しい作品によって更新されてゆく。ただし、その更新が伝統を無視したものであってはならない。美学がやせ細るからである。

 俳句歳時記のルーツは四季に排列する中国の漢詩文集までさかのぼる。それを平安和歌が受容して日本の自然観を形成。連歌俳諧はその和歌の美学をもとに成立。俳句はその先に位置づけられる。よって日本の美学は当然のことながら京都の美学であったが、享受する者の裾野が広がるにつれ、本意(イメージ)も新しく豊かになる。生きる時代や住む土地によって伝統的な和歌題(縦題)に新しい意味が追加され、いまふうな俳諧題(横題)がすぐれた作品を生んで、歴史を刻みはじめる。しかし、そこに厳しい批評眼が欠如しているため、現代の季題は二万語をはるかに超えたフォアグラ状態にあるのも事実である。俳句歳時記に法典に価する絶対的なものは望めまいが、季題と認定する道筋については共通理解を深める必要がある。

▶▶ある句会の兼題に「春場所」が決まったが、戦前の春場所が1月だったことから、その混乱を危惧する意見が出た。本稿はその問題を手掛かりに、季題とか季語とかに関する私の立ち位置をしめす意図で転載するものである。

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by bashomeeting | 2018-03-26 20:36 | Comments(0)
 この3月に卒業して郷里に戻る俳諧ゼミの女子学生Sが俳号をほしいという。句会体験が先だよと説いて、2月の白山句会(隅田川畔)に誘った。誘惑の顛末は以下の通り。

1)当日11時(投句〆切り3時間前)に本所吾妻橋駅で待ち合わせて、桃青寺(臨済宗妙心寺末。東駒形3)に向かう。
2)歩き始めに、Sに用意してきた「その日にふさわしい季題(季語)のメモ」を渡す。「春浅し」「あたたか」「春風」なんてのを書いてあったと思う。歩きながら、「まず世間を見廻して、このメモにあるような今日らしい季節の言葉をさがせ」と指示。
3)次に、「季題を発見したら、それをポケットにしまいこめ」と指示。
5)さらに、「季題のことは忘れて、目に飛び込むもの、心に浮かぶことを手帳に書き留めよ」と指示。
4)ちょっと迷子になったので、地元の婦人を頼って桃青寺に辿り着く。この寺はもと定林院、東盛寺と名乗る時代を経て、いま芭蕉山桃青寺という。芭蕉の名をそのまま使っているわけは、素堂(1642~1716)の門人で、俳諧撰集『五色墨』のメンバーであった長谷川馬光(1685~1751)がここに芭蕉堂を建てて祀り、芭蕉顕彰に尽くしたことによる。芭蕉が何度も訪れたという言い伝えがあるが、芭蕉研究史にときどき見かける付会であろう。
5)昔は広かったのだろうが、いまは小さくまとまった寺域には山茶花が咲き残っていた。馬光の墓を探して拝み、隅田川畔に戻り、駒形橋から吾妻橋の先まで歩いて腹ごしらえ。
6)会場の「すみだリバーサイド・ホール」を確認して、海舟の像が何で此処になどと近づいてゆくとMさんと、上方から駆けつけたKさんに遭遇。御一緒して枯蔦の枕橋を渡り、隅田公園に入ると、句会仲間が少しずつ合流して、幹事のYさんお勧めの牛嶋神社参り。撫で牛を撫で、焼失した北斎画の白黒写真をながめて、それぞれ句作。
7)句会場に入ると、挨拶はそこそこに、みんな一人に戻る。見て来たものを整理し、ポケットにしまいこんだ季題をとりだして17音にするためだ。ここからは自分だけの日本語表現。その句会の結果がどうであったかは、芭蕉会議サイトの「白山句会」から「句会報告」へ入って、編集長御苦労の記録を参照のこと。
8)ところで、初めての句会体験をしたSは「あたたかな道に迷子の猫二匹」「山茶花と木魚をきいて桃青寺」などと詠んでいた。猫は見なかった気がするが、本堂から読経と木魚の音が聞こえていた。誘惑の手順に素直で、まずまずの出来ではなかったかと思う。「迷子」とか「木魚」とかいう俳号を進呈したいが、たぶんことわられるであろう。

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by bashomeeting | 2018-03-06 15:44 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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