人気ブログランキング |

〔訓読〕陳亢、伯魚に問ひて曰く、子も亦異聞有るかと。對へて曰く、未し。嘗て獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、詩を學びたるかと。對へて曰く、未しと。詩を學ばざれば、以て言ふこと無しと。鯉退きて詩を學べり。(下略)

〔通釈〕陳亢が伯魚に、「あたなは先生のお子様です。世間の親は自分の子供に対して特別な扱いをするものですが、あなたも亦、先生からわれわれとちがった特別の教えを聞いていますか」とたずねた。伯魚は次のように答えた。「今までそういうことはありませんでした。ただ、ある時、父が一人で縁側に立っている時、私がその前を小走りして父に敬意を表しながら庭を通り過ぎますと、父が呼び止めて、『鯉よ、お前は詩を学んだか』と言われたので、『まだでございます』と答えました。すると父は、『詩を学ばなくては人と話ができないよ。詩は人情の発露であり、言葉が洗練されて耳ざわりのよいものだ。詩を学びなさい』と申しました。そこで、私はすぐに引きさがって詩の勉強を始めました」(下略)

▶▶『論語』「季氏第十六」 13の一節。吉田賢抗著『論語』(新釈漢文大系1、明治書院、S35.5)から、読み仮名を除き「訓読」「通釈」を忠実に写し出したつもり。「陳亢(チンコウ)」は孔子の弟子「子禽(シキン)」(元服後の通称)の本名という。「伯魚(ハクギヨ)」は孔子の長男孔鯉(コウリ)の字(アザナ、元服後の通称)。よって「鯉」は伯魚に同じ。「對へて」はコタヘテ。「詩(詩経)」は中国最古の詩集で、黄河流域の民謡、宮廷歌、祭事詩を収める。伝存するのは、漢代の学者毛亨(モウコウ)によるテキストのみであるところから、毛詩ともいう。
by bashomeeting | 2020-06-14 17:51 | Comments(0)

 詩を学ばなければ、他人(ひと)と話ができないよ。
 
▶▶掲出「無以言」の三字は「以て言ふこと無し」と訓ずる。座右の書である簡野道明講述『和漢名詩類選評釈』(大正3.10、明治書院刊)扉題の見返しにある、著者による墨書。典拠は『論語』「季氏第十六」 13。「詩を学ばなければ、他人(ひと)と話ができないよ」と解するために、次項「なぜ俳句を詠むのかⅥ」で少し補足したい。
by bashomeeting | 2020-06-14 17:08 | Comments(0)

 お前には俳句を教えるのではない。人間を養うために俳句を教えるのだ。本当は人間が出来てから俳句を習う方がいいんだが、それでは間に合わんからナ。

▶▶高野素十が門下に説いた発言。長谷川耕畝「沐猴而冠」(モツコウジカン/モツコウニシテカンムリス)より抽出。長谷川耕畝著『俳人高野素十との三十年』(新潟俳句会叢書37、新潟雪書房刊、H15.12〉所収。ちなみに「沐猴而冠」の「沐猴」は猿の類の意。四字熟語は「外見は立派でも内実が伴わない人物の譬え」。いわゆる「項羽と劉邦」の項羽が、秦を破り関中(秦の都が置かれた地味豊かな地。陝西省)を手に入れたにもかかわらず、故郷へ錦を飾りたがる様子を見た武将が、項羽を揶揄したことば。人間の皮をかぶった猿、しょせん天下を治める器ではない愚か者。(史記・項羽本紀)
by bashomeeting | 2020-06-13 18:30 | Comments(0)

 漱石が松山に居る時分に、私に話した事がありました。自分の目的は、完全な人間になるのにある、といふ事を申しました。完全な人間といふのは、どういふ事かと反問しましたら、漱石は、道徳的に完全な人間になる事をいふのである、と申しました。どういふ意味だかといふ事が私にはまだ詳しく合點がいかなかつたのでありますが、とにかく漱石といふ人は紳士でありまして、(中略)曲つた事、曖昧な事、うそが嫌いで、心の底から透明なやうな感じのする人でありました。(後略)

▶▶虚子『俳句の五十年』所収。『定本高濱虚子全集』13(毎日新聞社版)による。ここにいう「漱石が松山に居る時分」とは明治28年(1895)4月9日~翌29年4月10日(退職日)までの1年。虚子が松山に帰郷したのは、漱石赴任間もない4月であるから、この話の時期も同月のことであろう。なお、日清戦争従軍記者として大陸に赴いていた子規が、帰途の船中で喀血したのは5月17日。日本上陸後は神戸病院(虚子が看病)、須磨保養院を経て、8月末に松山に帰郷。教員として松山にあった漱石の下宿(愚陀佛庵)に転がり込んで、以後漱石と52日間同居。子規が指導する地元の俳句会(松風会)には漱石も参加。子規・漱石29歳(数え年)、虚子22歳のことである。



by bashomeeting | 2020-06-12 14:08 | Comments(0)

写真俳句と画賛

    雪・月・花―写真俳句論―

 雪明かりに心安らぎ、名月を愛で、道端の小さな花に目を留める。自然に対する、とりわけ、四季のうつろいに対する、日本人の豊かで繊細な感受性は、美術・文学などの秀逸な表現を生みだしてきました。五・七・五の言葉のなかにそれを封じ込めた俳句は、その典型的なひとつといえるでしょう。写真も、写し撮る一瞬に、現実の事象に対する作者の感性を封じ込める、という点でしばしば俳句に比されます。
 昭和10年の古都・松江を撮し出した福原信三もまた、写真俳句論を唱えたひとりです。今回は、大正期から昭和初期の日本を代表する写真家・福原信三作(松江風景)をはじめ、雪・月・花を謳う写真家たちの作品を中心に、彼らの自然への豊かな感性を感じ取っていただければ幸いです。

▶▶これは松江市の宍道湖の傍にある、島根県立美術館の「雪・月・花―写真俳句論―」と題する展示パネルの全文である。昨年の11月27日(水)に見学。「写真俳句」ということばに出逢うのは初めてだったから、受付の許可を得て撮影したものを書き出してみた。「写真も、写し撮る一瞬に、現実の事象に対する作者の感性を封じ込める、という点でしばしば俳句に比されます」という一節が興味深い。福原信三(1948没)は実業家(資生堂の創業者)で、写真黎明期に「写真芸術」の確立をめざした写真家とのこと。
 今年1月に芭蕉会議サイトがリニューアルされ、トップページに「巻頭写真&俳句」というコンテンツが生まれた。仲間の俳句を紹介するのが目的だが、その句に奥行きとか、物語を添えるために、Takumi Takahashi氏の写真に助けを求めている。連歌俳諧の付合(ツケアイ)や画賛の美学を踏まえた工夫だが、思いのほか好評である。その理由を考えるために「雪・月・花―写真俳句論―」が何らかの示唆を与えてくれることを期待している。


by bashomeeting | 2020-06-08 16:37 | Comments(0)

   序

 たしなみ俳句会の五周年記念句集をお祝いして、「模倣のすすめ」を主意とする一文を贈ります。
 虚子は素十について「句に光がある。これは人としての光であらう」(『初鴉』序)とほめました。この「光」は「美」や「味わい」と同義ですが、「人としての」と絞り込まれると、作者の人格という色合いを強めます。俳句とは人間性とか品性の表出だというのです。
 では、味わい深い俳句はどうすれば生まれるのか。すぐれた人柄はどうすれば育つのか。虚子は「その人とその技巧から来てゐるものと思ふ」(同序)と続けて、「人(作者の心)」と「技巧(作者の言葉)」は不可分という立場に立ちます。つまり、心(内面)を養えば美しい言葉が生まれ、言葉(外面)を整えれば心は慰められるというのでしょう。
 素十がこうした教えに従順であったことは「私はたゞ虚子先生の教ふるところのみに従つて句を作つてきた。工夫を凝らすといつても、それは如何にして写生に忠実になり得るかといふことだけ」(『初鴉』素十自序)という一文に明らかです。この「写生に忠実に」なることを「写実」といいます。素十の「工夫」とは自分の句が「あるがまま」かどうかを確認することだったようです。「あるがまま」を見極め、受け入れることができれば、それは高潔の名に値するでしょう。
 従順である素十は、「従つて私の句はすべて大なり小なり虚子先生の句の模倣である」(同自序)といって憚りません。具体的には、素十の「甘草の芽のとびとびの一ならび」という句は、虚子の「一つ根に離れ浮く葉や春の水」という句の「模倣」で、この「虚子先生の句がなかつたなれば、決して生れて来なかったらう」(同自序)というのです。
 どこが「模倣」なのでしょう。なにを真似たのでしょう。虚子は「一つ根に」という句を「其後の句作」(『ホトトギス』大正2・5)という文章で、「濠の水を眺めてをるうちに、(中略)向うの方とこちらの方と大分離れた所に小さい水草の葉が二つ浮いてゐるのが、よく見ると一つの根から出た長い長い二本の茎の尖にあるのであつた」とし、その別物に見えた二つの葉の根が一つであった驚きと喜びを詠んだ句であると自解しています。素十はこの虚子の心(内面)を真似たのです。
 素十句の「甘草(正しくは萱草)」は宿根草(多年草)です。冬に枯れたかに見えて、根は土中を這い、早春のあちこちに明るく小さな芽を出す。その宿命を「一つ根に離れ浮く葉」と同じように、いとしく感じとったのです。このように、素十の「模倣」とは虚子の句を通して、心(内面)を養うことでした。「模倣」という言葉に、新しい光を当てたいと思う、今日このごろであります。
                                      谷地海紅

▶▶これは日立の、たしなみ俳句会5周年記念作品集『たしなみ』(2020.3.31、私家版)に寄せた序文。前稿「人としての光」(「第11回 芭蕉会議の集い」の講演録)に接続する文章である。よって、ここに転載し、諸賢の御批判を仰ぐことにした。

by bashomeeting | 2020-06-02 17:03 | Comments(0)

 タイトルの「人としての光」は高浜虚子が門人高野素十という人物と、その句を褒めたことばで、『初鴉』(昭和21、菁柿堂)という句集の序文にある。この素十評を読んで、俳句を作るとはどのようなことかを考えたい。

 『初鴉』には虚子と素十の二つの序文がある。なぜか。素十は自序だけのつもりであったが、菁柿堂主人(豊島区西巣鴨)が独断で虚子に依頼したから。つまり、素十は出版されるまで、虚子先生の序文があることを知らなかった。(松井利彦編『俳句辞典 近代』昭52、桜楓社)
 そもそも素十は個人句集が嫌いで、出版は菁柿堂の熱心な勧めに節を折った結果である。よって、自分の句集なのに編集の一切は出版社任せ。その結果、四季分類の誤りや、誤字や句の重複まである。そんな姿勢だから、仮に虚子への序文依頼を事前に知っていたら、出版を拒んだかもしれない。このように、素十は世間の俳人の嗜好や常識から外れていた。
 虚子によれば、素十はよほど以前に句集が出ていてよい人物だった。しかし、良い句を作りたい一心で、文学のそれ以外の側面に関心はないから、句集がなかった。
 虚子によれば、まるで磁石が鉄を吸うように、自然が素十の胸に飛び込んでくるという。素十はそれを明快に切りとるから、ことばを飾る必要はなく、それでいて味わい深い。句に光があるとはこれで、人としての光であるという。素十に似た俳人に、『猿蓑』を編んだ凡兆がいるが、人としての光という点で、素十に及ばない。
 虚子によれば、この光というものを説明することはむずかしく、素十本人もわからないかも知れないが、その人と、その技巧から来ているという。つまり、俳句は人間の出来不出来によるが、それには技巧が大いに関係しているというのだ。
 これは俳句が修養の世界であるというのに等しい。修養は人格や技能をみがき、きたえることである。その具体的な回答は、虚子の序文を知らないはずの素十の序文に、まるで符節を合わせたかのように見える。師弟とはこのようなものか。以下がその全文である。要するに、自己表現とはすぐれたものを真似て、そこに自分を隠すという修養の積み重ねであった。古来、学ぶは真似るだという。模倣ということについて、考え直す機会にしたい。

     序
 私はたゞ虚子先生の教ふるところのみに従つて句を作つてきた。工夫を凝らすといつても、それは如何にして写生に忠実になり得るかといふことだけの工夫であつた。
 従つて私の句はすべて大なり小なり虚子先生の句の模倣であると思つてゐる。
   甘草の芽のとびとびの一ならび
 といふやうな句も
   一つ根に離れ浮く葉や春の水
 といふ虚子先生の句がなかつたなれば、決して生れて来なかったらうと思つてゐる。
        昭和廿二年五月九日          高 野 素 十

▶▶これは第11回芭蕉会議の集い(2020.1.19、パレスサイドビル9階 レストランアラスカ)における、「ことばの中にかくれる」という副題の講演要旨で、すでに芭蕉会議サイト「芭蕉会議の集い報告」に掲載されている。ただし、講演要旨では後半の素十序の部分は原文を提示するのみで、解説を怠っていた。今回、日立のたしなみ俳句会5周年記念作品集『たしなみ』(2010.3.31、私家版)に序を求められて、そこを「模倣のすすめ」と題して補足する機会を得たので、二者を接続させる目的でここに転載する。

by bashomeeting | 2020-06-02 16:49 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。