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忙しいと言うな

 問われもしないのに、忙しいと口走ってしまった。それで周囲に気を遣わせて、二月が行ってしまった。忙しいのは哀れだが、遠慮されてぽつねんと暮らしているのも滑稽である。忙しいと言わず、自分を見失っていると言うこと。多忙と充実を混同しないこと。多忙とは無様を美化した思い上がりに過ぎない。
# by bashomeeting | 2007-03-07 06:12 | Comments(0)

古語か現代語か

  文法、仮名遣い(考へ・考え)、字体(標準・異体・正字・誤字・俗字・略字)の問題は時代情況による相違があるから、現代の物差しで正否を断ずるのは愚かなことである。一方、語彙はそれぞれ確かに存在した時代があるのだから、時代の推移や作者の創造の中で死語と化したり、逆に時空を超えて蘇生することもある。よって古語か現代語かの二者択一を迫るのは物書きとしては愚かなことである。創造に古語も現代語もない。あるものは言葉であり、言葉によって生まれるバーチャルな世界である。古語も現代語も、わたしの中で共棲している。ただ、それを引き出すはずの人生の貧しいことを恥ずかしく思う。
# by bashomeeting | 2007-02-09 10:42 | Comments(0)

雲という存在

 忙中閑ありとはどのような静けさをいうのであろうか。机辺の紙屑の山を突き崩して燃やしたり、その山に紛れ込んでいた請求書に驚いて銀行振込に出掛けたり、手紙の返事を書いている時に大学の生協から電話があって、四月からの教科書指示をしていないお詫びを言ったりしていると、臍の上あたりから〈おうい…〉とこみ上げてくる声がする。


丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか

 山村暮鳥のこの静けさは浄土だ。こんな美しい時間はどこにでもあるようで、実は一度も出逢ったことのない景色だ。八木重吉もそうだが、彼らの世界は研究などという賢しらを拒む〈存在〉そのものと言ってよい。居てくれればよい、在ってくれればそれでよい。
# by bashomeeting | 2007-02-06 11:57 | Comments(1)

芭蕉と北上川

  仄聞するところによれば、石巻から登米にいたる北上川流域を広域観光資源とし、「芭蕉・北上川紀行」なる刷物ができたらしい」(河北新報)。芭蕉が、『おくのほそ道』がどんなふうに扱われているやら気が気でない。去る十二月二十五、二十六日の石巻・登米の旅が思い出される。今年十一月に石巻で行なう予定の集中講義が待ち遠しくもある。まだなんの準備もしていないのではあるが…。
# by bashomeeting | 2007-02-06 10:07 | Comments(0)

悪い句

 俳誌『鷗』二月号が届く。故長谷川耕畝さんの「『句修行寸言』抄2」を読む。中にある「悪い句」の一章を抽出する。

 俳句でもっとも嫌うのは観念の表出に終わっている句である。つづいて、説明、報告、理屈に終始している句。更には風流ぶり、思わせぶり、上手ぶり等、或は奇を衒った句等も嫌われる。いずれも詩情が無いからである。
  雨に濡れ日に乾きたる幟かな 虚子
という人口に膾炙されている句を若い日の素十は「悪い句ですね」と言ったそうである。虚子はにこにこと「悪い句です」と答えたという。その心は理屈。この師弟ならではの逸話である。
# by bashomeeting | 2007-01-30 08:38 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(本名は快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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