人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

海紅山房日誌

不快な読後感

  ミニ四駆の大会に出るという息子とその友達の付き添いとして、朝早くから品川シーサイドへ出かけた。子どものころに、こうした資金のかさむ遊びをしたことがないボクは、息子やその友だちから見ても、不機嫌な保護者に映っていたに違いないが、こうした生活の一齣も文学そのものであると考えているボクは、ボクなりに彼らの心地よい一日を支えたつもりである。すなわち、会場を眺められる距離にある喫茶店PRONTOで、百八十円のコーヒーをお代わりしながら、秋櫻子の「自然の真と文芸上の真」をほぼ読み終えた。そして、多くの優等生は、こんな文章によって俳句の近代が始まったと考えてきたのかと落胆するばかりで、読後感は不快であった。帰途、晩秋の満月がくっきりと見えている。この月を見たことで、今日は是としようと思う。
# by bashomeeting | 2006-11-05 21:45 | Comments(2)

勇気づける仕事

 このところよく働いている。稿債を整理できるほどではないが、今しなければならぬことから眼を逸らしていないせいであろうか、その疲労は心地よい。先月の二十八日(土)、二十九日(日)と、誘われて奥日光に遊んだことも復調の一因である。ゆりかごに掛かる毛布のように暖かく、一方で四面楚歌でも聞こえそうに見える落葉松黄葉の屏風が今も瞼に焼き付いている。誘ってくれた仲間に感謝。今日一日茅屋に居られるので、鳩の会の会報を仕上げよう。これも私を勇気づける仕事のひとつになるだろう。
# by bashomeeting | 2006-11-04 11:34 | Comments(0)

漂流と漂泊

 貞享四年(一六八七)の冬に、芭蕉は流謫の身にあった門人杜国を伊良湖岬に訪ねて、
       鷹一つ見付てうれしいらご崎   (笈の小文)
と喜んだ。また、明治三十一年(一八九八)の夏には柳田国男が伊良湖に滞在し、そこで得た椰子の実の話を島崎藤村に語って、国民歌謡「椰子の実」(藤村『落梅集』)が生まれた。
 だが、鷹と椰子の実ではものが違う。いかに遠き島から流れ着くとはいえ、椰子の実が海に漂うていても漂泊とは言えず、せいぜい漂流であろうか。漂泊とは精神のことなのである。
# by bashomeeting | 2006-10-23 14:35 | Comments(2)

月の仏となり給へ

 名月の夜にJ君が亡くなって、ふた七日が過ぎた。三十九歳であった。東京下町の人の好さとは、こういう優しさをいうかと思える男で、何年御無沙汰しても、再会すれば私のゼミにいたころのままの彼であった。好きな女がいると言いながら、何年も一緒にならないので心配したが、ついには一途を通して結ばれ、細君はいま二人目の子を宿していると聞いた。去る五月の芭蕉会議発足の集いに誘ったところ、私のわがままを聞いて、細君と息子さんを同伴してくれた。それが最後であった。無理に誘っておいてよかった。通夜の月は美しく、彼の友人らと思い出の街にくりだし、みんなでたくさん泣いた。

月の友月の仏となり給へ    海紅
# by bashomeeting | 2006-10-22 16:28 | Comments(1)

書きかえられた本意

 安居(あんご)は、あえて暑く辛い時期を選んで行う修行であると学び、そう信じてきた。夏籠(げごもり)も夏解(げだち)という文字も、そのような艱難辛苦をすすんで選び取る景色に見えていた。だが本来は雨季の意で、インドにおける雨季の暑さや災難、猛獣などの危害を避けて、修行に専念することを目的とするものであることを知った。恥ずかしながら、最近のことである。本意がまったく逆ではないか、と少し腹立たしい気がした。無知の自分にではなく、こうした受け容れ方をする権威に対してである。
# by bashomeeting | 2006-10-10 09:58 | Comments(4)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31