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 片山由美子さんの評論集『俳句を読むということ』(角川書店)が届く。巻頭に「現代俳句における切れの認識」がある。読み始めたい衝動を抑えて、まず自分の思考を整理しておかねばならぬ。

 詩歌は音楽である。音楽は、常にそのすべてが備わっているとは言えまいが、旋律(メロディー)・和音(ハーモニー)・拍子(リズム)の三要素から成っている。俳句も韻文、つまり詩であるから音楽である。よって、この三要素と無関係には成立し得ない。
 俳句の要件として、よく「切れ」が取り沙汰される。これは詠嘆の在処を示すため、読み手(聞き手)を立ち止まらせるための装置で、文の構成法としては省略・中止・倒置に属する。それが音楽の三要素のどこかを刺激し、抒情に奉仕する。「切字」は「切れ」の具体例のひとつで、すべてではない。「切れ」は俳句に限らず、韻文ジャンル全体に不可欠な要件である。散文と区別される基本条件と言ってよい。
# by bashomeeting | 2006-10-10 07:45 | Comments(0)
 今年の地方スクーリングは平泉公民館を教室にして、6月30日(金)から7月2日(日)にかけて実施。元禄二年の芭蕉が平泉を訪ねた時期と殆んど一致するという幸運にめぐまれた。『おくのほそ道』を読んでは、ゆかりの土地を訪問するという贅沢な三日間で、昨年同様に卒業生も駆けつけてくれた。
 折よく毛越寺はあやめ祭りで、平安の昔をしのぶ延年の舞には全国から人々が集まっていた。終日の五月雨も長く記憶に残るだろう。講義の締めくくりは、例年通り連句の試み、表六句を記録にとどめよう。

人の手で開ける列車や風薫る     宇田川良子
  あやめ祭りをしつらへて待つ    小林 吉郎
寺廂涼しき月を押し上げて        谷地 海紅
  なにぶらさげて帰る里の子     西村 通子
花すすき祖母にわたせば微笑める  原田 富江
  ちちろ鈴虫ちちろ鈴虫          執 筆

 もう一日ひとり旅を愉しむと言う喜美子さんと別れて帰途につく。新幹線では、車両を同じくする数人で一句会。喜美子さんは不在投句。

日常の旅へとかはる青田かな   正 浩
駅前の鉄風鈴に芭蕉の句      喜 美
木下闇芭蕉の句碑の読み難し   由貴子
空広し無量光院跡青田       海 紅
洗ひ髪草の匂ひの夜風かな    文 子
車中より青田の見ゆるわつぱ飯  正 浩
   延年の舞 三句
童子舞ふ鈴音やさし五月雨    嘉 子
五月雨と童子の床を踏む音と   喜美子
麻衣童子は風を入れて舞ふ    文 子
# by bashomeeting | 2006-10-02 14:20 | Comments(0)
 飯坂学習センターを教室にして、平成17年9月17日から三日間行われた『おくのほそ道』スクーリングで、学生と試みた連句(表六句)がひょっこり出てきた。海紅のさかしらで、多少手が入っているのはいつも通り。


医王寺にて佐藤継信・忠信
二人の妻の人形を拝す

鎧着て孝行の嫁さはやかに   雅 子
 文治二年の露のみちのく    海 紅
欠けてゐる盃に月たゆたひて    透
 そば屋の暖簾出づる藪医者  佳 美
しんしんとこんこんと雪道続く    海 紅
  きつね親子に届く手袋      道 子
# by bashomeeting | 2006-09-30 09:31 | Comments(0)

私はどこにいるのか

  ドラマにしろニュースにしろ、TVに映し出される映像を見ていて、これは私の目が見ているわけではないと思って、カメラマンの目がみているのだと思って、電源を切ってしまうことがある。切ることはしないまでも、そういう神経を忘れたくない。そんなふうに暮らしていると、私と同じように生きているひとりに出逢った。昭和57年のことゆえ、今は昔と言うべきか。直接お目にかかったわけではない。正確にはその人の詩に出逢ったのだ。作者の名は井上繁利さん、当時十三歳。詩集の名は「新選対訳『どろんこのうた』」(北星堂書店 昭和57・1)、編者のひとり郡山直先生とその御友人本田徹夫先生と御縁があって一冊いただいたのである。その簡明さに驚嘆した郡山先生の英訳も書きとどめておこう。

かがみ

ぼくは かがみを みたらいけん
ぼくは かがみが こわいけん
みんのです
ぼくのかおが かがみに うつったら
ふたりが おるけん
こわいです


The Mirror

I don't look into the mirror.
I am afraid of it.
So I don't look into it.
When my face is reflected.
In the mirror, there are two me's,
So Iam afraid of it.
# by bashomeeting | 2006-09-29 11:14 | Comments(1)

懐疑という心

「国際俳句シンポジウム『不易流行』」の記録集を輪読するにあたり、谷地はまず不易流行とは幽霊のような言葉であることを前置きした。理念としての「不易」と、情況としての「流行」という言葉は、古来それぞれ独立して存在した。その二つをひとつの概念として用いたのは、おそらく芭蕉が最初であろう。だが、芭蕉自身が書き記した資料は堀切発言にある通り、「只今天地俳諧にして万代不易」(元禄3・12・23付去来宛書簡)しかなく、そのほかは聞書か、その聞書を敷衍したものであるからだ。しかもその聞書は「千歳不易」「天地固有の俳諧」「天地流行の俳諧」「風俗流行の俳諧」「一時流行」「世上の流行」等、その表現が微妙に異なっている。不易流行を論じる私どもはまずこれらの資料と向き合い、そのつじつまの合わない点を考え抜かねばならない。この愚直ともみえる手続きを省いて納得すれば、事の次第にうとい幽霊の末裔になりさがるしかない。憶えることに性急である必要はない。懐疑という心を忘れないことだ。
# by bashomeeting | 2006-09-28 11:01 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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