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失せもの出づる―平泉紀行

 今年の地方スクーリングは平泉公民館を教室にして、6月30日(金)から7月2日(日)にかけて実施。元禄二年の芭蕉が平泉を訪ねた時期と殆んど一致するという幸運にめぐまれた。『おくのほそ道』を読んでは、ゆかりの土地を訪問するという贅沢な三日間で、昨年同様に卒業生も駆けつけてくれた。
 折よく毛越寺はあやめ祭りで、平安の昔をしのぶ延年の舞には全国から人々が集まっていた。終日の五月雨も長く記憶に残るだろう。講義の締めくくりは、例年通り連句の試み、表六句を記録にとどめよう。

人の手で開ける列車や風薫る     宇田川良子
  あやめ祭りをしつらへて待つ    小林 吉郎
寺廂涼しき月を押し上げて        谷地 海紅
  なにぶらさげて帰る里の子     西村 通子
花すすき祖母にわたせば微笑める  原田 富江
  ちちろ鈴虫ちちろ鈴虫          執 筆

 もう一日ひとり旅を愉しむと言う喜美子さんと別れて帰途につく。新幹線では、車両を同じくする数人で一句会。喜美子さんは不在投句。

日常の旅へとかはる青田かな   正 浩
駅前の鉄風鈴に芭蕉の句      喜 美
木下闇芭蕉の句碑の読み難し   由貴子
空広し無量光院跡青田       海 紅
洗ひ髪草の匂ひの夜風かな    文 子
車中より青田の見ゆるわつぱ飯  正 浩
   延年の舞 三句
童子舞ふ鈴音やさし五月雨    嘉 子
五月雨と童子の床を踏む音と   喜美子
麻衣童子は風を入れて舞ふ    文 子
# by bashomeeting | 2006-10-02 14:20 | Comments(0)

失せもの出づる ― 飯坂の付合

 飯坂学習センターを教室にして、平成17年9月17日から三日間行われた『おくのほそ道』スクーリングで、学生と試みた連句(表六句)がひょっこり出てきた。海紅のさかしらで、多少手が入っているのはいつも通り。


医王寺にて佐藤継信・忠信
二人の妻の人形を拝す

鎧着て孝行の嫁さはやかに   雅 子
 文治二年の露のみちのく    海 紅
欠けてゐる盃に月たゆたひて    透
 そば屋の暖簾出づる藪医者  佳 美
しんしんとこんこんと雪道続く    海 紅
  きつね親子に届く手袋      道 子
# by bashomeeting | 2006-09-30 09:31 | Comments(0)

私はどこにいるのか

  ドラマにしろニュースにしろ、TVに映し出される映像を見ていて、これは私の目が見ているわけではないと思って、カメラマンの目がみているのだと思って、電源を切ってしまうことがある。切ることはしないまでも、そういう神経を忘れたくない。そんなふうに暮らしていると、私と同じように生きているひとりに出逢った。昭和57年のことゆえ、今は昔と言うべきか。直接お目にかかったわけではない。正確にはその人の詩に出逢ったのだ。作者の名は井上繁利さん、当時十三歳。詩集の名は「新選対訳『どろんこのうた』」(北星堂書店 昭和57・1)、編者のひとり郡山直先生とその御友人本田徹夫先生と御縁があって一冊いただいたのである。その簡明さに驚嘆した郡山先生の英訳も書きとどめておこう。

かがみ

ぼくは かがみを みたらいけん
ぼくは かがみが こわいけん
みんのです
ぼくのかおが かがみに うつったら
ふたりが おるけん
こわいです


The Mirror

I don't look into the mirror.
I am afraid of it.
So I don't look into it.
When my face is reflected.
In the mirror, there are two me's,
So Iam afraid of it.
# by bashomeeting | 2006-09-29 11:14 | Comments(1)

懐疑という心

「国際俳句シンポジウム『不易流行』」の記録集を輪読するにあたり、谷地はまず不易流行とは幽霊のような言葉であることを前置きした。理念としての「不易」と、情況としての「流行」という言葉は、古来それぞれ独立して存在した。その二つをひとつの概念として用いたのは、おそらく芭蕉が最初であろう。だが、芭蕉自身が書き記した資料は堀切発言にある通り、「只今天地俳諧にして万代不易」(元禄3・12・23付去来宛書簡)しかなく、そのほかは聞書か、その聞書を敷衍したものであるからだ。しかもその聞書は「千歳不易」「天地固有の俳諧」「天地流行の俳諧」「風俗流行の俳諧」「一時流行」「世上の流行」等、その表現が微妙に異なっている。不易流行を論じる私どもはまずこれらの資料と向き合い、そのつじつまの合わない点を考え抜かねばならない。この愚直ともみえる手続きを省いて納得すれば、事の次第にうとい幽霊の末裔になりさがるしかない。憶えることに性急である必要はない。懐疑という心を忘れないことだ。
# by bashomeeting | 2006-09-28 11:01 | Comments(0)

不易流行は近代の原点

  「論文を読む会」で正岡子規国際賞事業「国際俳句シンポジウム『不易流行』」の記録集(平成16年3月 愛媛県文化振興財団)を読んだ。川本皓嗣氏をモデレーターに、パネリストとして岩岡中正・夏石番矢・堀切実各氏を迎えたもの。作品に触れることのない議論で難解であったが、私に比較的馴染みやすかった岩岡氏の意見の一部を書きとめて備忘とする。なお、芭蕉会議としての集約は別に機会を設けることになる。

 〈「近代」とは人間による作為、つまり一切を自分の小さな自我で作っていくやりかた〉を学んだ時代である。「現代」とはその〈近代の行き詰まり〉の時代で、「老いてきた近代」といえる。つまり〈一切が自己中心的になり、物事を見るのにすべてが分析的になり散文的になり、詩が失われてしまった時代〉で、〈人と人、人間と自然との関係、挙句の果てには自我と身体との関係までも崩壊してしまい、バラバラになった世界〉である。〈真の知性が枯渇し、貧困になった時代〉といってもよい。俳句に関して言えば、〈非常に実感から遠ざかった言語遊戲〉になってしまった。
  もとより詩は「真の知性」である。つまり、詩には内発力・生成力があり、〈一切を総合する力〉が備わっている。それは〈相異なるものから、それを超えた全く異質な高次元のものを作り出す〉想像力(imagination)によって生まれるのであり、〈言葉を適当に組み合わせて新奇なものをつくりあげる〉空想(fancy)の産物ではない。
 ではこの「老いてきた近代」をいかにして超えるか。それは「近代」の原点に帰ることである。もともと「近代」がめざしていた「生きた自我」、つまり芭蕉のような「開かれた自我」を完成させるために、もういちどモダンの原点に帰ることである。創造のエネルギー(流行)と伝統(不易)との相互の往復運動を通して、〈生き生きとした感動をもって、新しい見方や価値観の中に身を置いて、★自己生産論(オートポイエティック)に生きていくという〉ところから新しい伝統が創出されるであろう。
 
  〔谷地注〕★「自己生産論」は「自己生産的」の誤植か。とすれば、その意味するところは、向上心を持って主体的に生きて、その結果として生まれてくる感動を形象化する、という脈絡になるであろう。
# by bashomeeting | 2006-09-28 05:36 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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