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残るもの

生きた歴史や時間が残るわけではない。
 「情」が残るのである。
# by bashomeeting | 2006-09-23 01:32 | Comments(0)

水澄むや母を葬る詩を碑とし 海紅

 「海紅句抄」の掲出句に、書き込みをしてくださった人たちに答える。
 東洋大学俳文学研究会の一泊研修で木曽を旅したのは平成十一年九月十日と十一日の二日間である。木曽馬籠、妻籠、奈良井宿、木曽福島、薮原宿、寝覚めの床などをめぐる。馬籠の永昌寺で島崎藤村の詩碑に遭遇した。この句は、木曽の秋深き山河と藤村の詩とがわたくしの身体を通り抜けるときに出てきた、溜息のようなものであった。

    母を葬るの歌  島崎藤村

   きみがはかばに きゞくあり
   きみがはかばに さかきあり
   くさはにつゆは  しげくして
   おもからずやは そのしるし
   いつかねむりを さめいでて
   いつかへりこん わがはゝよ
# by bashomeeting | 2006-09-22 20:32 | Comments(0)

ふたりの俳諧師

  ― 海紅先生が出ているよ。
  学会誌の出張校正の部屋で、K先生が悪戯っぽく笑いながら別所真紀子著『古松新濤』(都心連句会・湘南吟社)という書を私に示した。「昭和の俳諧師 清水瓢左」と副題があるので、「古松新濤」という書名にこめる思いがわかった。松濤軒瓢左翁の一代記である。
 清水瓢左先生は昭和六十年に九十歳で亡くなった連句人である。俳諧を松濤軒柳斎・根津芦丈に学び、松濤軒を継いで三世・芦丈の抱虚庵を継いで六世を名のった。東明雅先生は名刺に「俳諧師」とだけ肩書きしていたが、瓢左翁も俳諧師の一語にふさわしい生涯を送った。
 その最晩年に、私は瓢左翁の連句指導を受けて、軒号を与えられた。江戸俳諧の命脈を受け継ぐかけがえのない人に学んでおこうという、村松紅花先生のすすめに従ったもので、池田紅魚君と一緒であった。『連句辞典』(東京堂出版)のお手伝いをした縁で、東明雅先生の連句の座にも何度か連なったが、この二人の俳諧師は似ているようで、似ていない。瓢左翁は江戸俳諧師の切絵のような人で、明雅先生は切絵師のような方であった。
# by bashomeeting | 2006-09-21 10:07 | Comments(0)

日常の中の非日常

 芭蕉は〈非日常を日常として生きた〉と説かれることがある。しかし、日常の中に居続けないかぎり、非日常を日常とし続けることなどできるものか。非日常とは日常の中にあるのだ。
# by bashomeeting | 2006-09-18 15:43 | Comments(0)

非日常を日常とする

  「非日常を日常とする」
  むずかしい言葉だ。しかし、こういうふうに抽象化しない限り、言葉はエネルギーを持たない。生きる力にならない。生きる力にならぬなら、出家でなく、文学を選んだ意味がない。
# by bashomeeting | 2006-09-18 15:24 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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