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海紅山房日誌

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 津軽海峡を越えて母を見舞うたびに、私は心の中で何度も別れを告げた。弟は病床の母の耳もとに〈…今日は顔色がいいよ〉とささやくのが常であったが、実際はよくなかった。母は天命の限界を耐えており、弟は息子のやさしさの限りを尽くしていた。致し方のないことであった。

 M氏が研究室を訪ねてきたのはそのころである。彼は〈『えんぴつで奥の細道』という売れ筋を真似て、『野ざらし紀行』を出したいのです〉と率直だった。率直な人は恐いが、嫌いではない。だが私は〈柳の下にいつも泥鰌がいるとは限らない…。パクリ本の手伝いはしないよ〉と断った。彼はひるまず、〈『野ざらし紀行』には『おくのほそ道』ほどの完成度はないが、芭蕉の生涯のすべてがひそんでいる。生い立ちも、人生の経過も、文芸的な到達点さえもそこにはあり、初めて芭蕉を学ぶのに、これほどふさわしい作品はない〉とその意義を説いた。

 M氏の言う通りであった。彼は今まで日本文学に縁がなかったと言うが、この企画の実現にむけて学習していることにうたれた。それで、これが書写本にとどまらず、大学生の芭蕉入門ゼミのテキストとして耐え得る工夫をすることを条件に、監修を引き受けた。すなわち『野ざらし紀行』の詳細解説をほどこし、M氏の質問に答える形で芭蕉の生涯・俳諧文芸の魅力・近世という時代についてコラムを設け、映発の美学である俳諧を愉しむ目的で写真を配してもらったのである。今まで文学関連の出版を殆んど手がけていない出版社、という点にも好感を持った。

 母の死は、その原稿を書いているさなかの哀しみで、結果的に著者校正の時間を失った。この点を詫びつつ、下記の通り正誤表を示しておきたい。ちなみに、この本の命取りになるような誤記はない。

                ■正誤表

P 1 「はじめに」         L1 ×江戸深川→○江東深川
P 4 「目次の八日目」     L1 ×常磐塚→○常盤塚
P35 「芭蕉世界を愉しむ」 下L9 ×深いことを→○深いことは
P37 「語釈:斧斤の罪」     L2 ×斧斤ニ夭セラレズ→○斤斧ニ夭セラレズ
P38 「詳細解説」        L28 ×竹の内(当麻町)→○竹の内(葛城市)

P54 「見出し」         L1 ×常磐塚→○常盤塚
P76 「語釈:西岸寺…」   L3 ×宝誉め上人→○宝誉上人
P81 「現代語訳」     L7 ×大顛→○大巓
P82 「語釈:水口」     L2 ×水口市→○甲賀市
P82 「語釈:蛭が小島」   L1 ×静岡県田方郡韮山町→○静岡県伊豆の国市韮山町
P83 「語釈:円覚寺の…」   L1 ×大顛→○大巓
P87 「芭蕉世界を愉しむ」 上L7 ×『俗猿蓑』→○『続猿蓑』
P92 「あとがき」 L20 ×俳諧と文芸→○俳諧という文芸
# by bashomeeting | 2006-08-10 12:06 | Comments(0)

やさしい無関心

 ブログを始めると約束して実行に移せず、二ヶ月が過ぎた。
 六月半ばに母の野辺送りを済ませた私が、いま日記まがいのことに手を染めれば、カミユの『異邦人』のムルソーのようにボロボロになってしまう気がして、混沌としていたからだ。
 この小説は〈きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった〉と始まる。
 引用は窪田啓作訳による新潮社の世界文学全集39『異邦人・ペスト・転落』(昭和42)による。この全五十冊からなる全集には、むかし企業に就職して、自分のお金で本が買える喜びを味わった懐しい思い出がある。退職して津軽海峡を越えるときに、『魔の山』『ジャン・クリストフ』『狭き門』などと共に運んだ。
 ところで、主人公ムルソーは〈人間は誰もが死刑の宣告を受けている存在〉であるとし、何事にも〈どっちでもいい〉〈ボクには関係ない〉と考えがちな男で、社会性や宗教的倫理観の外側にあって、人生に取り立てて生きる意味を見いださない男として読者の前に投げ出され、〈太陽が眩しかったから…〉という曖昧模糊とした理由で殺人を犯して裁かれる。読後、不条理すなわち〈人間はなぜ死へ向って歩まねばならないのか〉という問題を突きつけられた本であった。説明のつかない将来を抱える思春期の只中にあって、〈ムルソーとは自分のことである〉と思った青年は少なくなかったと思う。
 私もひどく落ち込んだ末に、この世にすでに生きている〈私〉は、かつて〈ある誰か〉にとっては意味ある存在であったに違いないこと。それ以上の生きる意味は、〈私〉が主体的に創出すべきものであること。社会は〈無関心〉で、他人を哀しむようにはできていないが、それは憎悪に満ちたものでなく〈やさしい無関心〉であること等を手掛かりにして、『異邦人』からの脱出をはかった。それは芥川や太宰を遠ざけるようにしたころと一致する。
 母の死とは、新しいことを始めるにふさわしい時機であるかもしれない。
 遠い思考回路を整理しつつ、こんなふうに思った。
# by bashomeeting | 2006-08-07 16:06 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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