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非日常を日常とする

  「非日常を日常とする」
  むずかしい言葉だ。しかし、こういうふうに抽象化しない限り、言葉はエネルギーを持たない。生きる力にならない。生きる力にならぬなら、出家でなく、文学を選んだ意味がない。
# by bashomeeting | 2006-09-18 15:24 | Comments(0)

漂泊と信仰

 漂泊と信仰とは、時々わたくしの中で一緒になる。それは、わたくしにとっての信仰が神聖なものへの畏怖でなく、心の解放という意味を出ないからだろう。

 人生も半ばを過ぎて、残された時間を思うころになると、人は、家を守り、子供に後を託し、持てるものと棄てるものを選り分けて、整理する方向にむけてしっかりとするものだ。ところが芭蕉の場合は、持てるものを守るのでなく、壊してゆくカタチで人生をしっかりさせようとするわけ。具体的には旅がそれ、漂泊がそれで、ちょっとみには放埒無頼にみえる。しかし、それはおそらく心を解放するためには最良の道で、耳目を通して世界を把握し、瞬時にして数十年の過去を体感する道ではなかったか。むろん、わたくしどもが、それをそのまま真似することはないし、できもしないのであるが…。
# by bashomeeting | 2006-09-18 09:27 | Comments(0)

仇討ちという大義

 近松の『世継曽我』を読む。曽我物は講談で伊賀越え(荒木又右衛門)、忠臣蔵とともに
三大仇討ちとして知られる。講談・仇討ち、古い古い、過去のものと思いきや、しみじみとこみ上げるものあり。かりに法律という重石がなければと、仇同然に思い詰めるひとりやふたりは、今の世とて誰にもあること疑いなし。地球規模で起き続ける血の争いも、いかがわしい大義なるものを括弧の外に括り出せば、単なる仇討ちとも見える。〈人は歴史に学ばない〉とは、加藤周一氏がどこかに書いて以後、私の頭を離れないことばのひとつ。人の心に古典も近代もあるものか。
# by bashomeeting | 2006-09-16 00:29 | Comments(0)

人は何故いしぶみを遺すのか

 銚子の文化講演会のあと、聴講者にまじっていた卒業生から便りをいただいたり、主催の教育委員会のSさんから、同委員会発行の冊子『銚子と文学者とのふれ合い』を送られて、銚子に文学碑の多いことに驚いたりしている。すべて講演の余韻である。

 それにしても、人はなぜ歌碑・句碑や詩碑の類を遺すのであろうか。直感的なことながら、この様式は「壁に題す」(壁に詩文を書き記す)という漢詩の歴史に端を発するものではないか、以前からこう考えてきた。

 「壁に題す」という成句は小学校六年生の時に教えられた。ボクのふるさとに限らないであろうが、ベビー・ブーム(なんというイヤなことばであろう)と呼ばれた世代の小学校は、一クラス六十名ほどに溢れかえり、登校時刻をずらして二部に分けたり、科目ごとに教室を移動したり、いろいろ工夫しても従来の教室数では間に合わず、新しい小学校ができて、住居の近いボクは五年生の五月にその新しい小学校に移された。そこの最初の校長先生が紺谷秀次という人で、週に一時間だけ教科書のない授業をしに教室に現れた。
 ― 意味は考えなくてもよい。大きくなればわかるから…。
 そう言って、漢詩を黒板に書き、音読させた。そこで菅原道真や頼山陽の名を覚えた。「壁に題す」は村上文三の詩題であった。

    壁に題す

    男児志を立てて、郷関を出づ。
    学若し成る無くんば、死すとも還らず。
    骨を埋む、豈惟墳墓の地のみならんや。
    人間到る処青山有り。

 内容にむずかしいところはなく、なんとなく納得して大人になったが、高校教師のころに、同僚から「青山」とは〈死に場所〉であり、〈墓場〉のことであると聞かされて驚いた。
 こういう思いこみがあるからであろうが、文学碑類を悲壮な決意がこめられたものとして見てしまう。同じ理由で、見るのがイヤになることもある。その微妙な気分を整理したくて、数年前から『諸国翁墳記』を調べ続けている。

 『おくのほそ道』の序が〈面八句を庵の柱に懸置〉(曽良本)と結ばれていることは御承知の通り。仏頂が芭蕉に〈「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と松の炭して岩に書付侍り〉(同)と語ったという雲巌寺の一節も周知の通り。これもボクのいう漢詩の歴史までさかのぼる様式であると思いたいが、平成十年に宮脇真彦さんが研究発表で日本古典文学から用例をたくさんあげているので、論文として読ませてもらうことを心待ちにしている。

  もう、とうに亡くなっているはずの紺谷先生に会いたくなった。
  ― おまえに運といえるようなものはなかったが、いつも先生には恵まれていたよ。
  これはボクに対する母のくちぐせであったが、その母も今はもういない。

    ともすればかなしびごとをつたへきて五月雨の夜のさみだれの音  ケサイ
    母の死を告ぐる五月雨とも知らず  海紅
# by bashomeeting | 2006-09-08 11:09 | Comments(0)

少しのことにも先達はあらまほしき事なり(兼好・徒然草)

 昨日、講演(文化講演会)で銚子に出かけた。新涼というべき日が、ひとり旅を豊かにしてくれた。「旅と俳諧―その美しい交響詩―」という題で九十分話した(銚子市市民センター 大ホール)。旅とは住んでいる土地を離れて一時他の土地に行って戻ることではなく、〈逢って別れること〉という、私の『おくのほそ道』理解を、俳諧(連句)という文芸の本質と重ねたもの。

 講演後は、教育委員会を通して、数日前に打診のあった鷗俳句会の方々とお目にかかって懇談、句碑散歩ののち会食をしてお別れした。何度も出かけている町であったが、地元の先達のある散策はかつてない充実したものとなった。俳句会のみなさんの、旧識の如き優しい心配りに頭が下がった。以下にその見学の一部を紹介する。

 浜屋ホテル(あしか島海岸)の前庭の句碑「佇みて瞑りて待つ初日影 唯男」を見る。作者の永島唯男氏は鷗俳句会の指導者で、俳誌『天為』同人。連句も画も玄人跣足の多彩な人である。

 最近、犬吠埼灯台下の君ヶ浜に、『天為』主宰の有馬朗人句碑「鳥白し春あけぼのゝ君ヶ浜 朗人」が建ち、道沿いにある句碑「犬吠の今宵の朧待つとせん 虚子」に対す。

 女将の高橋鷹子さんが俳人という暁雞館(犬吠埼)を訪ねる。永島さんらが巻いた「暁雞の」半歌仙の額を見るためである。それはロビーの壁に掲げてあった。平成十七年一月十一日に巻いたもの。第三までを紹介しよう。「董王」は永島氏の別号。
   暁雞の西明浦の初日かな  永島 董王
    掬へば甘き海士の若水   本屋 良子
   醤油蔵四百年も続きゐて   高橋  賢
 
     此台の清風/たゝちニ心涼しく/
     西方仏土もかく/あらんと
  ほとゝきす爰をさること遠からす 一茶坊〔書判〕
  これは浄国寺(春日町)に建つ一茶句碑。寺が所蔵する芳墨帖の真筆を模刻したもの。一茶は文化十四年六月一日、滞在先の主人である大里桂丸(豪商行方屋。大里庄次郎。浄国寺檀家)、と五味李峰(銚子住)と浄国寺望西台に遊んだ(矢羽勝幸『一茶大事典』大修館書店)。その際の揮毫。「平成十七年乙酉年七月吉日」建碑。碑陰に有馬朗人・本屋良子(獅子門 一紅庵)等、発起人である永島氏を支援した人々の名あり。〈爰をさること遠からず〉は『観音経』の一節という話もある。『華厳経』であったかもしれない。仄聞ゆえ、確かめる必要あり。
 先掲の桂丸が、野崎小平次(未詳)と共に建てた芭蕉句碑が同じ境内にある。句は「枯枝にからすのとまりけり秋の暮 はせを」(判読)。碑面に「あきの夕誰が身のうへぞ鐘が鳴る 桂丸」(未考)の句を添える。弘化二年建碑の由(未考)。『諸国翁墳記』に登載されるや否や考証の必要あり。

 地球展望館(愛宕山)で「鷗俳画展」見学。私の訪銚を知って、会期を延ばしてくれた由。心に残った句は以下の通り。
   頬刺の一味ちがふ天日干  加瀬 晴子
   春寒や仔牛小さき膝を折り  半田 穂波
   大店に嫁して七年初幟    作田 櫻子
   県民の森より聞こゆ雨蛙   一谷 源治
   香水を控へて料理運びけり  高橋 鷹子
   釣宿の女将となりて明易し  飯島 藍子
   噴水の見ゆる二階の喫茶店 高橋 綾乃
   宿題の早く終りしソーダ水  加瀬  緑
   枯菊を束ねし庭の広さかな  加瀬 絹代
# by bashomeeting | 2006-09-04 13:01 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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