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『海内人名録』―俳諧の目的は出離遁世―

 江東区芭蕉記念館から、翻刻『「俳諧 海内人名録」Ⅱ』(年度報告書)を贈られた。昨年の第Ⅰ部と合わせて、嘉永年間の一千名に及ぶ俳諧人名録が活字で読めることになった。各俳人の一句がそれぞれ掲出されているので、句集の性格も持っている。その詳細は省くが、西馬の跋文は、当時の俳人が、俳諧の目的を、出離遁世の枠組みでとらえている一資料であるから、核心部分を意訳して書きとめおく。

 西馬は、西行が出家の心を詠んだ歌「同じ心を/世を厭ふ名をだにもさは留め置きて数ならぬ身の思ひ出にせん」(西行・山家集・雑)を引きながら、〈この西行歌に見える、名を遺そうという気持ちは、この世の思い出とするという意味で、最初の仏道修行であろう。この世の思い出がなければ、出家後の修行も却って怠慢になり、仏道への専心がむずかしい。ところで、この『俳諧 海内人名録』は国内の俳人一千名以上の通称までも記してあるが、その意図は先掲の西行歌に同じく、俳諧への専念を出離修行の最初の思い出として、長く後世に残そうとするものであろう…〉と書いている。
# by bashomeeting | 2006-09-02 16:38 | Comments(0)

手帳の国、職人の国

 九月一日である。手帳で確かめたのでまちがいない。雨天。今年は今日で二百四十四日が過ぎ去り、百二十一日を残すばかり。立春からかぞえれば二百十日で台風の季節。陰暦では閏七月九日、つまりまだ初秋である。むかしから風を祭り、農作物を荒らす風を鎮める季節で、確かに青松虫の声も夜ごとに増えている。だが、こんなふうに復誦しても、規則正しい日常をおくることはむずかしい。

 ひとつの仕事に取り掛かると、それが仕上がるまでは仕事場を出られない。今日が何日であるかということまでは気がまわらない。それは出勤の拘束が少ない夏季に多く、時に失敗もする。会議は言うに及ばず、ある人の結婚披露宴をすっぽかしたこともある。その披露宴はボクの記憶より一日早く行われたのだ。以来、その人はボクに口を利いてくれない。記憶より手帳を信じなければいけない。わかっている。だが、仕事のさなかはその手帳までが時々行方不明になるのだ。数日前も、二つの約束、ある記念館訪問と雑誌の出張校正を忘れた。いつになく夏休みの宿題に必死な息子が不審で、尋ねると、明日と思いこんでいた約束の日は今日で、すでに午後になっていた。後の祭りであった。

 自分のために仕事をする。それが結果的に人のためになってゆく。かつて、この国はそんな職人仕事を矜りにする国であった。今は人のために仕事をせよ、それは必ず自分のためになるからとすすめられる時代。そこで粗忽をしないために、職人の国と手帳の国を行ったり来たり、しかしそれではまとまったよい仕事ができないのである。オーナーは要らない。手帳の国で、職人の国にいるボクを見張るアシスタントがほしいと、叶わぬ夢を見たりした。
# by bashomeeting | 2006-09-01 10:11 | Comments(0)

清見寺の芭蕉句碑検証

快一:東海道を歩いて来たんだって。
海紅:卒業生に誘われてね。由比の「東海道広重美術館」がすばらしかった。ああいう本物を見て戻ると、誰がこんな東京にしちまったんだ、江戸の景観を返せって、告発でもしたくなる。
快一:やめなヨ。目をつむればすむことだ。
海紅:興津の清見寺にも立ち寄った。名勝という庭園の石橋が芭蕉句碑だというのでね。
快一:どんな句なの。
海紅:森川昭著『東海道五十三次ハンドブック』に「東西あはれさひとつ秋の風」とあり、『東海道名所図会』では「清見寺にて/西ひがしあはれさ同じ秋の風 はせを」だ。「東西」「西東」、「ひとつ」「同じ」の違いがある。寺にある句碑の写真を見ると、名所図会の形が正しいようにも見える。
快一:碑文は読まなかったの。
海紅:今は石橋の裏面になっていて、読もうにも読めないんだ。さっきあげた森川先生の本によれば〈このさびしい句のために宿場がさびれたとて、裏返して橋にした〉という言い伝えがあるらしい。
快一:すごいね、芭蕉の句には町を寂れさせる力があったというわけだ。
海紅:そうかもしれないが、実は市販の芭蕉句集類を見ても、意味がよくわからない。
快一:無理ないよ。この句は去来の『伊勢紀行』(貞享3)に与えた、三百字あまりの前書と一体の句文であって、十七音で成立している発句じゃない。芭蕉全集類に前書なしで出すこと自体が不見識なんだ。その結果、解釈を誤る。
海紅:どんな前書なの。
快一:〈言葉、心ともに拙い人の多い中で、去来という人は其角(芭蕉の高弟)と交流を深めて風雅の道をきわめた。そして、このたび妹を連れて秋風の京都白川口を発って、伊勢参宮を果たすまでの道の記を『伊勢紀行』としてまとめ、深川の芭蕉庵に送ってきた。私は三度読んで、その風雅の心のゆたかなことを確信した〉といった内容だよ。句意はこの前書を踏まえるので、〈私とあなたは江戸(東)と上方(西)とに分かれて暮らしているが、秋風にあわれを感じるという風雅の心で一つに繋っているのです〉というところだろうね。去来を門弟として認知する内容と見てまちがいない。
海紅:じゃあ『東海道名所図会』にある、清見寺で詠まれたという前書は誤りか。
快一:そうね。『伊勢紀行』に従って、句と文章とでひとつの作品と認定して読まねばいけない。つまり句の成案は「東にしあはれさひとつ秋の風」。もちろん、この句によって宿場が寂れた、というのも言い掛かりの類だね。残念ながら、芭蕉のこの句にそんな霊力はない。誤伝と知って困った挙句、附会された話かもしれない。伝承とはおもしろいね。
海紅:その句文の全体は、どこで読めるのだろうか。
快一:『去来先生全集』(落柿舎保存会、昭和57)がいい。
# by bashomeeting | 2006-08-28 22:50 | Comments(0)

我がいそしみはむくわれにけり

 帰省中にたくさん蜻蛉を見たので、帰宅後、季節ごとにE-mailに刷り込んでいる句を「とんぼうの宙に残りて覚束な」に差し替えたところ、I君が蜻蛉の竹民芸品を贈ってくれた。〈…メール末尾の句を読んだら、これを見せたくなったので〉とあった。釣り合い人形、つまり弥次郎兵衛の一種で、木の枝にとまった二匹が、机上に届くわずかな秋風にも揺れて見せる。〈これを見ていると、重心とか、バランスの大切さを思う〉ともあった。

 三月に卒業された根本文子さんが、卒業論文を自費製本されて、一冊贈ってくださった。『芭蕉発句研究―花の季題をめぐって―』である。芭蕉の句の新しさを、どこに見届けるべきかという問題を、縦題の考察によって明らかにしたもの。書き添えられた〈母に見せ、父にも供え、弟と妹に渡したい〉の一言が、この人の向学心をよくあらわしている。

   せむとして成し得し今日のよろこびにわが勤しみは酬はれにけり(空穂・冬木原)

 今日と明日は卒業生と箱根から由比・興津あたりに遊ぶ。
# by bashomeeting | 2006-08-26 06:05 | Comments(0)

新しき故郷

 郷里には、移動日を含めて四日滞在して、二十日に帰宅した。

 北海道とは思えぬほどの残暑であった。到着した日の夜は、このたび入会を許された「芦別ペンクラブ」の例会に出席、父も母も他界して、郷里との縁が薄れゆくことをさびしく感じていたが、ここにひとつの絆ができた。新しき故郷であった。翌日からは、姉や妹一族との再会を果たし、母の納骨を済ませ、子供を水泳につれて行ったり、私の卒業した小学校のグランドで息子や娘とキャッチボールなどもした。また、生家の草取りもすこしした。

 郷里を離れる日は「星の降る里百年記念館」に立ち寄って、「特別展 歌人の書棚〈西村一平コレクション展〉」を見た。この企画の一切を担う学芸員の長谷山隆博氏に誘われていたからだ。前庭の芝刈りをしていた長谷山氏に〈学芸員さんは草取りもするのですか…〉と話しかけると、〈外は涼しいですから…〉と笑いながら迎えてくれた。氏は「芦別ペンクラブ」の中心人物で、入会に際してはあれこれ懇情を賜った。

 西村一平とは、私が毎日のように立ち読みに通っていた、六花書房という書店の主である。立ち読みを咎められたことはない。いつも入口左のレジで、ものしずかに何かを読んでいる人であった。夢に三島由紀夫さんが現れて、赤シャツという店でコーヒーを飲み、一緒に出かけた書店でもある。六花とは雪の異称。その六花書房も赤シャツも今はない。

 一平氏が与謝野寛・晶子に師事する明星派の歌人で、寛に〈いにしへの啄木、今の一平〉と愛されていたことは聞いていた。しかし、私にはまれに書物の代金を払う書店の主でしかなく、むろん文学の話などしたことはない。当時の私は貧しい家具建具製作所の息子で、立ち読みの常習者にすぎなかった。長谷山氏は葛西善蔵資料を含む常設展を含め、最後までお付き合いくださった。私はこの人との縁に胸を熱くして郷里を後にした。

こゝろなく寄りくる波とおもはれずくづるゝ時のひたむきを見よ 一平
# by bashomeeting | 2006-08-24 07:58 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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