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     召 集
            金子光晴
  
   バネのこわれたベッドのうえに
   仮死の子が横たわる。
   むりにも子供を病人にしたて、
   敵のてだてのうらをかこうと。

   非国民の父親は、窓をしめきり、
   松葉で子をいぶしたり、
   裸にして、庭につき出し、
   十一月の長雨にたたかせたり、

   子は、衰えて眠る。夜もふけて、
   父は、子のそばで紅茶をいれる。
   人がみな、鬼狼になった時代を、
   遮断する、破れカーテンのうち、

   タムの穿く
   刺繍の靴。
   蒟醤の箱、プノンペンの面。
   それら、みな。

   子の父や、母が、子のために
   世界のすみずみを旅して
   あつめかえったおもちゃの影まぼろし、
   幾歳、心の休み所となったこのかくれ家。

   この部屋も、あすは木っ端みじんとなろう。
   だが、その刹那まで、
   一九四〇年日本の逆潮を尻目の、
   ここの空間だけが、正しいのだ!

   窓のすきまを忍び込む、
   風がことりという。
   戸外の夜陰をひっさらって
   「時」の韋駄天走りをかいまみて、

   子と父を引き裂くその「時」が
   刻々に近づく
   だが、その不安を
   しまいまで、口にすまい。

   子はねむる。わるい夢をみてか
   ときどき、うなされるが、
   父は、机にむかって、
   アリストファネスをよむ。


▶▶金子光晴(昭和50没、享年80)。作品は『落ちこぼれた詩をひろいあつめたもの』という詩群による。
# by bashomeeting | 2022-08-15 17:11 | Comments(0)
Ⅰ、人は自分のレベル以上のことは理解できない。
Ⅱ、我々のようなサラリーマン学者に芭蕉を理解出来るはずがない。
Ⅲ、芭蕉の作品も立派だが、芭蕉が引用する中国や日本の古典もすばらしい。

▶▶わたしは上記の3点を、講師としての自分の立ち位置とし、聴講者の方々の前に立っています。ⅠⅡは恩師の教えです。Ⅲは朝日カルチャー講師を引き受けて以降の実感です。すなわち、学校の講義はカリキュラムやシラバスという制約があって、肝腎な点をハショリますが、カルチャー講座はエンドレスなので、杜甫も李白も、源氏物語も枕草子も、必要箇所はすべて紹介できるということです。次回はⅠⅡⅢの補足説明をいたしましょうか。

# by bashomeeting | 2022-03-24 19:06 | Comments(2)
 俳句を伴侶として暮らす方法はいくつもある。
 市中の教養講座を受講したり、一定の主義主張をもつ俳句雑誌で選者の選を受けて入選を競ったり、そうした雑誌の変形である各種の俳誌に加わって自分の作品を掲載する枠を得たり、また新聞俳壇への投稿や懸賞俳句の応募に熱を上げたり、あまりほめられたことではないが、俳壇で名を成そうとしたりと、まことに多彩である。
 しかし、そのいずれにも暮らしのカタチがなじまず、俳句に遊ぶことを断念している人もいる。それは気の毒だから、そうした事情の人たちのリズムに寄り添い、気のおけない俳句会を作ってお手伝いをしたりする。
 最近、そうした俳句会のひとつで、兼題「ラジオ」に挑戦して、由紀子さんの「ラジオからカーペンターズぼたん雪」という句に遭遇。ボクは〈この兄妹のデュオは澄みきっていて、春の雪(ぼたん雪)という景にお似合いですね〉と感想を述べた。
 するとFさんから〈読後すぐに脳裏を「Yesterday Once More」が流れた。ノスタルジックな歌詞とメロディにぼたん雪はおしゃれな組み合わせ〉という感想が寄せられた。それで久しぶりに、「When I was young I’d listen to the radio」と始まる「Yesterday Once More」を聴いた。こみ上げるものがあった。
 ところで、「Yesterday Once More」をボクに和訳させると、「あの日に帰りたい」となる。「あの日に帰りたい」とくれば、「泣きながら、ちぎった写真を手のひらにつなげてみる」と始まる荒井由実の名曲で、ボクの母校の小学校が閉校する際の記念誌に求められて、同じ「あの日に帰りたい」という題で思い出を寄せた記憶がよみがえった(海紅山房日誌:2011年 02月 26日)。
 「Yesterday Once More」の清澄と、荒井由実の「あの日に帰りたい」の演歌に等しい重たさ。小さな俳句会で出逢った一句で、こんなゆたかな数日を過ごすことができた。ボクが〈俳句は読者のものですよ〉いうのはこういうことである。
# by bashomeeting | 2022-01-31 15:27 | Comments(0)
朝日カルチャー新宿◆これまでに話したこと

1)誤解された与謝蕪村
2)芭蕉と蕪村
3)芭蕉が教えてくれたこと
4)松尾芭蕉と与謝蕪村―­たしなみとしての詩歌―­
5)芭蕉の生涯と作品(伊賀在郷時代)
芭蕉一族と伊賀
6)芭蕉の生涯と作品(江戸市中居住期)
俳諧(連句)の基礎・『桃青門弟独吟二十歌仙』の虚実
7)芭蕉の生涯と作品(深川隠棲初期)
深川退隠とその理由・多彩な門人たち「其角の洒脱」「温雅な嵐雪」「軽妙な杉風」
8)芭蕉の生涯と作品(野晒行脚期)
『野ざらし紀行』と漂泊の思い・連句「狂句木枯らしの」歌仙
9)芭蕉の生涯と作品(貞享庵住期)
『鹿島詣』と仏頂和尚
10)芭蕉の生涯と作品(笈の小文行脚期)
『笈の小文』から『更科紀行』へ・杜国慰問の実態・蕉門の拡大と俳諧観
11)芭蕉の生涯と作品(元禄初年庵住期)
歌枕探訪の軌跡・漂泊の意味を問い直す・『おくのほそ道』前夜(おもしろうてやがて悲しき・姨ひとりなく月の友・兄半左衛門の妻の死)・多彩な門人たち「篤実な去来」「格調と凡兆」「清澄な凡兆」
12)芭蕉の生涯と作品(『おくのほそ道』の創造力)
路通と曽良・『おくのほそ道』序説(成立・構成と内容)・深川出庵・室の八島と歌枕の定義・那須野のむすめ・白河の関と歌枕・黒羽と浄法寺兄弟・『曽良旅日記』の文体・須賀川と「風流の初め」・須賀川と「見つけぬ花」・郡山の「花かつみ」・福島の「摺りごろも」・飯坂の佐藤継信と忠信兄弟・義経思慕・笠島と流離・武隈の松と古歌のパロディ・宮城野の風狂者・壺の碑という誤解・天地流転の相(末の松山・塩竈の浦)・塩竈明神と勇義忠孝・天地創造の神秘(松島実見)・瑞巌寺と求道・石巻と辛苦・平泉と栄枯盛衰・関越え、峠越えと旅愁・清風称揚・立石寺と清閑・最上川と風流・出羽三山体験・鶴岡の四吟歌仙・松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし・佐渡も市振も恋・金沢と哀傷・小松と実盛伝承・那谷寺と花山法皇・山中と菊慈童伝説・全昌寺と離別・求道(汐越の松・天竜寺・永平寺)・福井と『源氏物語』夕顔・敦賀(待宵と雨明月)・色の浜と風狂・大垣と擬死再生の論・戸田如水日記・近江蕉門(古風の尚白・主観の千那・姿先情後と正秀)
13)芭蕉の生涯と作品(上方漂泊期)
伊勢参宮前後(紙衾の記・)卓袋宛て書簡・明智が妻の話・不易流行という示唆・「幻住庵の記」・『嵯峨日記』・撰集『猿蓑』の世界・木曽塚をめぐって

▶▶ここにあげたタイトルは近世俳諧の枠組みで、展開については今栄蔵著『芭蕉年譜大成』の目次を参考にしている。なお、そそのかされて「子規・虚子・素十を読む」「山頭火と放哉」などという講座を担当したこともある。平生から〈古典俳諧と近代俳句は別物ではない〉と言明し、俳句も作っているわけだからという口車に乗ったのである。
 次は、講師としての立ち位置を述べることにしようか。

# by bashomeeting | 2022-01-31 15:20 | Comments(0)
 実は「研究者の講座がほしい」とおだてられて、平成24年(2012)から朝日カルチャー新宿の俳諧講座のお手伝いをしている。
 昨年の11月であったと思う。芭蕉会議のメンバーで、このカルチャー講座を受講するTさんから「先生が自己宣伝めくことを嫌うのは知っているが、大学の講義よりおもしろいので、芭蕉会議の会員フォーラム(掲示板)で紹介してもイイか」という打診があった。
 私は〈評価は当人でなく、他者がするものである〉と考えてきたので、この気遣いに素直に感謝し、己の卑屈な殻を破って〈Tさんの配慮に応えるべく、講座の要旨をブログ「海紅山房日誌」に紹介するよう努力します〉と返事した。タイトルにした「朝日カルチャー新宿始末」とはその実践の表明みたいなものである。
 次回は、今までどんな話をしてきたかを、かいつまんで紹介しようか。


# by bashomeeting | 2022-01-11 11:48 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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