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海紅山房日誌

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政治と宗教◆天下布武


 言葉があるのに、なぜ武器を手にとるのですか。

# by bashomeeting | 2021-09-08 20:33 | Comments(0)
 出歩くな、家に居ろといわれて半年余り、今度はマスク、消毒を怠りなく出かけろというのだから困惑する。根幹に横たわるウィルスは目にみえないが、解雇や雇い止め、そして企業の巨額赤字ははっきりとみえる。ウィルス感染症対策と経済活動は車の両輪という政治家のたとえは適切でないが、お金を使って生産と分配を動かしてほしいという本音はわかる。自粛は自分で自分のおこないを慎むことだから、自粛要請などといってほしくなかったが、みずから判断するには情報があいまいすぎる。感染症学者間で異なる見解を個人が整理できるはずもない。こんな日常が続くと、ふだん縁のうすい問題を考えたりもする。
 いつの日にか解明される可能性は否定しないが、人間の智恵で計り知ることのできない領域は常にあるのだろう。それを神という威力が担ってきた。啓示とか黙示とかいうカタチで人間に忠告してきた。このところ、その忠告がずいぶん多いのではなかろうか。科学の進歩や経済の繁栄は、結果的に大自然に対する畏怖の念を失わせ、野生動物との棲み分けはむずかしく、シベリアの永久凍土は溶け続け、海水温度の上昇による気候変動が世界各地の生活をおびやかしている。これらは、人間の智恵のなさを指弾する地球規模の警告、つまり啓示なのではなかろうか。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)なるものにも、その啓示(黙示)という名を与え得るのではなかろうか。「With コロナ」とか「Go To 〇〇」などというノンキな姿勢で乗り越えることのできる情況には、すでにないのではないか。
 こんな柄にもないことを考える機会を与えてくれたのは、岩手県花巻市のA先生から届いた七月十一日付の手紙である。先生は宮沢賢治学会を主な舞台に、長く賢治顕彰の仕事を続けているが、農業高等学校の校長を最後に、父君のリンゴ農園を引き継がれた。すなわち、御苦労の自家製リンゴジュースを送って下さる荷物に、その手紙は添えられていた。
 内容は「子どものころ、風邪や体調の悪いときには必ずこのリンゴジュースを飲まされた」という懐かしい話や、賢治の命日に献花や詩の朗読・合唱・野外劇などをおこなってきた「賢治祭り」が御多分に洩れず中止になったというニュースにはじまるが、それにまじって「時代が悲鳴をあげているように思う」と書いている。
 A先生の心に悲鳴と映ったものは、ひとつには例年と異なる梅雨の激しさと、コロナウィルス感染症下で起こった「九州の豪雨と大洪水による家々の浸水」、次には香港で昨年三月から「逃亡犯条例改正案の完全撤回」や「普通選挙の実現」など、人間としてごくあたりまえの五つの要求を掲げて、継続的におこなわれている「香港一連の民主化デモ」、さらに「Black Lives Matter」、つまり「黒人の命を粗末に扱ってはならぬ」というアメリカの人種差別抗議運動。アフリカ系アメリカ人に加えられた警察の残虐行為への組織的な批判である。これらを先生は、いま地球という星があげている悲鳴だという。
 こうした悲鳴は新型コロナウイルス感染症と同じく、世界をあげて向き合わねばならない問題であった。私ども戦後世代は、自分たちが生まれたころに発足した国連に期待するところが大きいが、この組織の表情はいびつで、なかなかその責任を果たせないでいる。組織がいびつなのは、構成する人間の思考が歪んでいるからだろう。
 私たちは思想信条を侵されて生きてゆける動物ではない。言論の自由は精神の解放そのものであり、文化とか芸術とかを根底で支えるエネルギーである。だが、大国、小国を問わず、グローバリゼーションと内政不干渉を都合よく使い分けて、国家権力を行使する国々の露出は、誰かがいった「人は歴史に学ばない」という哀しみを思い起こさせる。それゆえに、人知で計りがたい側からの啓示や警告を見逃してはいけないと思うばかりである。
 A先生は、高校生のころに見た映画『風と共に去りぬ』に驚いて、新潮社版の小説を何度も読み返した昔を懐かしんでいる。時代は南北戦争前後。南部に住む白人たちの絶頂期で、その貴族文化的な社会を優雅に描くが、白人の視線で描かれて人種差別(奴隷制度)の残酷さには触れていないという批判も受けてきた。ハティ・マクダニエルが黒人女優として助演女優賞を受賞していながら、授賞式会場が「黒人お断り」のホテルであったために、式場に席を設けられず、アフター・パーティーにも参加していない時代だったことを思い出しながら、先生は「読書でもしながら、新しい時代の方向と小さい自分に果たせる役割を模索したい」と結んでいる。
 さて、私も自分に残された少しの仕事に誠実に向き合わねばなるまい。

▶▶『芦別文芸』第48号所載。これは郷里(北海道芦別市)の同人雑誌。両親が亡くなったとき、これで故郷と縁が切れるのかと思うと悲しくて、参加させてもらった。すでに同人であった寺の御住職の紹介だった。ボクはだいたい俳句欄を担っているのだが、この年はコロナ感染症が他人事でなくなり、編集発行人の長谷山隆博氏の「新型コロナウィルスがもたらしたもの -田舎の表現者は何を思ったか-」というテーマで特集を組むという誘いにのったもの。当時はいちねんほど叡智を寄せ合えば感染は終熄すると思っていたが、大いなる誤算であった。それで、今後も考え続けるための備忘として、転載することにした。非常時には専門家の意見に随う、どうも政治家とはそういうフツーの生きものではなかったようだ。(2021/08/20)


# by bashomeeting | 2021-08-20 21:14 | Comments(0)
 豚や牛やニワトリを、食べるために養い、殺し続けているのだから、せめて人間は人間を殺すことだけはしないこと。これっぽっちの人道を、世界はどうして達成できないのだろうか。
# by bashomeeting | 2021-08-15 11:26 | Comments(0)
 『日本文学研究ジャーナル』(No.18)をいただいた。「気鋭の日本文学研究者責任編集」と銘打つ季刊誌で、今号は佐藤勝明・中森康之両氏の編集。すなわち、「蕉門と蕉風」を特集する。(株)古典ライブラリー発行。
 内容はまず堀信夫先生の巻頭エッセイ〈『田舎の句合』『常盤屋の句合』の再評価〉を置き、中森康之〈「蕉風」の眩暈 ─「芭蕉流」という視点から見えるもの─〉、佐藤勝明〈蕉門の付句 ─芭蕉・其角・支考と元禄俳諧─〉、稲葉有祐〈「贈晋渉川先生書」再考 ─其角と不易流行をめぐって─〉、福田安典〈門・風の倫理〉、川平敏文〈洒落・平淡・かるみ ─蕉風俳論と宋代詩論─〉、髙井悠子〈芭蕉晩年における伊賀蕉門の役割 ─俳諧理念の模索と人材育成─〉、金子はな〈惟然と芭蕉俳諧の理念 ─俳論「詼諧非芸」の意義─〉、伊藤善隆〈『蕉門格外弁』の検討 ─蕉門探求の一階梯─〉、寺島 徹〈中興期俳諧の「蕉門」史観についての一考察 ─吉川五明の『小夜話』を手がかりに─〉と壮観。早速巻頭エッセイから読み始めたが、なかなか濃い。エッセイの語義には論述(論説)の意があるから当然ではあるが。
 岩波の『文学』、至文堂の『解釈と鑑賞』、學燈社の『国文学』等々が事実上の廃刊状態で、このところ研究誌に飢えている。今秋の読書の愉しみにしたいと思う。


# by bashomeeting | 2021-07-28 17:40 | Comments(0)

紹介◆連句年鑑(2021)

 大久保風子氏から令和3年版『連句年鑑』(日本連句協会、6月30日発行)をいただいた。今号には中名生正昭氏(ナカノミヨウ・マサアキ。俳号穂高)の「芭蕉と蕪村―未来に生きる名句」(南雲堂刊『芭蕉の謎と蕪村の不思議』からの転載)、吉田酔山氏(日本連句協会副会長)の「俳諧師のマニュアル『三冊子』」、そしてわれらが谷地元瑛子氏の「連句は文学、連句は祈り」という一文を掲載して圧巻。
 酔山氏を存じ上げないが、中名生氏は読売新聞の編集委員等を勤めあげ、現在は「無花果俳句会」(庵主海紅)のメンバー。
 そして、谷地元瑛子氏は芭蕉会議の仲間だが、実は「エア国際連句協会」の世話人代表で、外国の連句人と連句を巻く機会を持っていることを知る人は多くない。近代文学史上の連句の冷遇を知っている識者には、本誌の「連句は文学、連句は祈り」という文章はきわめて刺激的なものと映るであろう。
 一読を勧めたい。

  歳時記の解説のごと半夏生   海紅

# by bashomeeting | 2021-07-13 20:35 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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