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海紅山房日誌

忍耐の手帳から◆国家の安全や人道にそむく命令に従ってはならぬ(ド・ゴール)

国家の安全や人道にそむく命令は拒否できるばかりか、実行せず、上級へ訴えねばならぬ。
                             シャルル・ド・ゴール

▶▶シャルル・ド・ゴール(1970没)はフランスの政治家で軍人。第18代フランス大統領。フットボールと詩の好きな少年であったという。
▶▶断捨離の中で、小さな手帳を含めると30数冊の日記が出て来て、一気に断裁して捨てる方法を模索していたが、複数の友人たちから、「まだしばらく保管しておけ」と言われて、そのままになっている。チラチラ覗き読みをしていると、ド・ゴールのこんな書き留めが出て来た(どこのスクラップか、出典を記録していなくて申し訳なし)。これらの日記には当時「忍耐の手帳」という名前をつけているから、自分自身を支える一本の杖の役目を果たしていたことは間違いない。多くは辛くて読むに堪えない内容だが、こうした名言は紹介してもよいかなと考えて抽出。しかし、組織で生きていると、こんな名言のようには生きてこられなかったなあとしみじみ思う。比較的自由な研究者の世界においてもそれはあまり変わらなかった。誠実に生きるのはむずかしい。

# by bashomeeting | 2021-10-11 17:18 | Comments(0)

来簡◆普通の生活って何だろう

 今年も終戦記念日が過ぎて、もう9月なかばである。コロナ渦にあって、ものごころがついたばかりの子供たちは外に出るときは必ずマスク、家の中では静かに遊ぶ、それが普通の生活と思っているのだろうなあと考えたりする。
 また私の幼いころの話。戦争で疎開した先は北海道の祖父母の家で、オホーツク海寄りの片田舎だった。近くに広場があって、傍の急坂の下を頓別川が流れていた。「頓」はアイヌ語で「いくつにも枝分かれして流れて行くこと」を意味すると、祖父から聞いた気がするが、今はおぼろげな記憶である。
 遠い北海道も空襲や空襲警報と無縁ではなかった。家中のガラスは墨で黒塗りされて、朝に目が覚めてもお天気なのか、雨降りなのかわからない。いぶかしく思っていると空襲警報が鳴りだし、防空頭巾をかぶり、救急袋をぶらさげて防空壕に駆け込む。「空襲警報解除」とふれまわる消防団の声にノソノソと防空壕を出て家に帰る。
 そのうち、家の横の広場に大人たちが集まり、急坂の下の川から広場まで、二列に並んで「防空演習」。水の入ったバケツや砂バケツリレー、それが終わると「竹槍訓練」。「ワタシモ、ヤリタイナ」なんて思いながら、毎日飽きずに見ていた。これが、何の疑問も持たずに過ごした、小さいころの普通の生活だった。他に穏やかな日々があるなど想像もしなかった。
 戦後になって食料難の時代。「澱粉団子入りの麦ご飯のお粥」のこと。じゃがいもを潰して澱粉を入れて、それをこねて白玉団子ふうにしたもの。塩味だけの素朴なものだったが、大好物だった。
 最近、母親の後始末に格闘中。父母の古い戸籍を江戸時代まで遡ったり、生まれてから亡くなるまでのあれこれ。母が独身で美しかったりして癒やされるが、戦争前後のゴタゴタなども多くて、結構面倒な作業である。自分の子供たちには、こんなことさせずに済むようにしたいと思いつつ、がんばっている。コロナの終わるのを待っていたが、先が見えないので動き出すことにしたのだ。
 以上、今の子供には想像もつかない世界だろうと思って、近況報告をかねて書いてみました。 (T・M)

▶▶感染症対策が後手後手で、〈緊急事態宣言という言葉はもう何度も聞いたから、新しく何をするのか、したのかを聞かせてくれ〉と思うこのごろ。戦時中でもないのに「野戦病院」という言葉が行き交ったりして無神経だとも思う。そんなときに、疎開経験のあるT.Mさんから便りがあった。自分の生い立ちを踏まえて、「普通とは何か」を考えさせられる内容だった。よって、御本人の了解を得て紹介。

# by bashomeeting | 2021-09-18 12:30 | Comments(1)

長き夜◆歌を詠む幸ひ

 ひとりになることができる時間は夜中のみだったから、睡眠時間を削って仕事をするのが常であったが、教職から解放されて以後は、暗いうちは眠ることにしている。夜の静寂は今は亡き親族や友人を思い出して、その淋しさに耐えられないからだ。
 ところが、台風の雨が降り続く今宵はうまくいかない。起き出して、手の届く距離にある歌集『サムシング・グッド』(渓声出版、令和1.5.1刊)をひらいて読む。

  杖をつく身とはなりたる幸ひは歌人のまなこ得たることなる(雨宮潔・2016)

 説くまでもなかろうが、〈歌を詠むことができる自分は幸いである〉という意味。この気持ちにはまことに同感。
 雨宮君は大学院で和歌を学んだ後輩で歌人。長く都立高校の教師をしていたが、平成30年7月11日没。享年61。卒業後は学会の場で二三度挨拶を交わすばかりで疎遠に打ち過ぎていたから、大病をされて18年余りガンバッタことを知らなかった。歌集は没後に彼の姉君から贈られた。合掌。


# by bashomeeting | 2021-09-18 05:52 | Comments(0)

政治と宗教◆天下布武


 言葉があるのに、なぜ武器を手にとるのですか。

# by bashomeeting | 2021-09-08 20:33 | Comments(0)

転載◆コロナウィルスという啓示 (芦別文芸48・2020.10)

 出歩くな、家に居ろといわれて半年余り、今度はマスク、消毒を怠りなく出かけろというのだから困惑する。根幹に横たわるウィルスは目にみえないが、解雇や雇い止め、そして企業の巨額赤字ははっきりとみえる。ウィルス感染症対策と経済活動は車の両輪という政治家のたとえは適切でないが、お金を使って生産と分配を動かしてほしいという本音はわかる。自粛は自分で自分のおこないを慎むことだから、自粛要請などといってほしくなかったが、みずから判断するには情報があいまいすぎる。感染症学者間で異なる見解を個人が整理できるはずもない。こんな日常が続くと、ふだん縁のうすい問題を考えたりもする。
 いつの日にか解明される可能性は否定しないが、人間の智恵で計り知ることのできない領域は常にあるのだろう。それを神という威力が担ってきた。啓示とか黙示とかいうカタチで人間に忠告してきた。このところ、その忠告がずいぶん多いのではなかろうか。科学の進歩や経済の繁栄は、結果的に大自然に対する畏怖の念を失わせ、野生動物との棲み分けはむずかしく、シベリアの永久凍土は溶け続け、海水温度の上昇による気候変動が世界各地の生活をおびやかしている。これらは、人間の智恵のなさを指弾する地球規模の警告、つまり啓示なのではなかろうか。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)なるものにも、その啓示(黙示)という名を与え得るのではなかろうか。「With コロナ」とか「Go To 〇〇」などというノンキな姿勢で乗り越えることのできる情況には、すでにないのではないか。
 こんな柄にもないことを考える機会を与えてくれたのは、岩手県花巻市のA先生から届いた七月十一日付の手紙である。先生は宮沢賢治学会を主な舞台に、長く賢治顕彰の仕事を続けているが、農業高等学校の校長を最後に、父君のリンゴ農園を引き継がれた。すなわち、御苦労の自家製リンゴジュースを送って下さる荷物に、その手紙は添えられていた。
 内容は「子どものころ、風邪や体調の悪いときには必ずこのリンゴジュースを飲まされた」という懐かしい話や、賢治の命日に献花や詩の朗読・合唱・野外劇などをおこなってきた「賢治祭り」が御多分に洩れず中止になったというニュースにはじまるが、それにまじって「時代が悲鳴をあげているように思う」と書いている。
 A先生の心に悲鳴と映ったものは、ひとつには例年と異なる梅雨の激しさと、コロナウィルス感染症下で起こった「九州の豪雨と大洪水による家々の浸水」、次には香港で昨年三月から「逃亡犯条例改正案の完全撤回」や「普通選挙の実現」など、人間としてごくあたりまえの五つの要求を掲げて、継続的におこなわれている「香港一連の民主化デモ」、さらに「Black Lives Matter」、つまり「黒人の命を粗末に扱ってはならぬ」というアメリカの人種差別抗議運動。アフリカ系アメリカ人に加えられた警察の残虐行為への組織的な批判である。これらを先生は、いま地球という星があげている悲鳴だという。
 こうした悲鳴は新型コロナウイルス感染症と同じく、世界をあげて向き合わねばならない問題であった。私ども戦後世代は、自分たちが生まれたころに発足した国連に期待するところが大きいが、この組織の表情はいびつで、なかなかその責任を果たせないでいる。組織がいびつなのは、構成する人間の思考が歪んでいるからだろう。
 私たちは思想信条を侵されて生きてゆける動物ではない。言論の自由は精神の解放そのものであり、文化とか芸術とかを根底で支えるエネルギーである。だが、大国、小国を問わず、グローバリゼーションと内政不干渉を都合よく使い分けて、国家権力を行使する国々の露出は、誰かがいった「人は歴史に学ばない」という哀しみを思い起こさせる。それゆえに、人知で計りがたい側からの啓示や警告を見逃してはいけないと思うばかりである。
 A先生は、高校生のころに見た映画『風と共に去りぬ』に驚いて、新潮社版の小説を何度も読み返した昔を懐かしんでいる。時代は南北戦争前後。南部に住む白人たちの絶頂期で、その貴族文化的な社会を優雅に描くが、白人の視線で描かれて人種差別(奴隷制度)の残酷さには触れていないという批判も受けてきた。ハティ・マクダニエルが黒人女優として助演女優賞を受賞していながら、授賞式会場が「黒人お断り」のホテルであったために、式場に席を設けられず、アフター・パーティーにも参加していない時代だったことを思い出しながら、先生は「読書でもしながら、新しい時代の方向と小さい自分に果たせる役割を模索したい」と結んでいる。
 さて、私も自分に残された少しの仕事に誠実に向き合わねばなるまい。

▶▶『芦別文芸』第48号所載。これは郷里(北海道芦別市)の同人雑誌。両親が亡くなったとき、これで故郷と縁が切れるのかと思うと悲しくて、参加させてもらった。すでに同人であった寺の御住職の紹介だった。ボクはだいたい俳句欄を担っているのだが、この年はコロナ感染症が他人事でなくなり、編集発行人の長谷山隆博氏の「新型コロナウィルスがもたらしたもの -田舎の表現者は何を思ったか-」というテーマで特集を組むという誘いにのったもの。当時はいちねんほど叡智を寄せ合えば感染は終熄すると思っていたが、大いなる誤算であった。それで、今後も考え続けるための備忘として、転載することにした。非常時には専門家の意見に随う、どうも政治家とはそういうフツーの生きものではなかったようだ。(2021/08/20)


# by bashomeeting | 2021-08-20 21:14 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。
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