海紅山房日誌

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 九月十三日(日)、大垣市と教育委員会が主催する「おおがき芭蕉大学」という企画で、「芭蕉と蕪村―その郷愁をめぐって―」(於奥の細道むすびの地記念館)という講演をしてきた。
 はじめに、山口洋子「ふるさと」、室生犀星「小景異情」、陶淵明「帰去来辞」にふれて、郷愁というテーマがいかに古くから繰り返し唱われてきたかを思い起こしてもらった。その上で、故郷に関して、芭蕉・蕪村に本質的な違いがあることを説き、心の反映である作品にも当然それはみてとれるという話をした。
 使用した主な資料は「実兄宛芭蕉書簡」「幻住庵記」「実兄宛芭蕉の遺書」、「北寿老仙をいたむ」「春風馬堤曲」「柳女・賀瑞宛蕪村書簡」で、締めくくりに、講話の結論を援護してくれる芭蕉と蕪村の句(むろん秋の句)を味わった。

▶▶実は夕食会をするという誘いにしたがって前泊。夕食会のメンバーは昨年十月に「芭蕉はなぜ旅に出たのか」(企画展関連講座)という話をしに出かけた際に御世話になった人々と、その際に参加させてもらった句会の先生。翌日の講演は午後で、午前中はあいていたから電車でふらりと一人旅。終点の美濃赤坂で下車して法泉寺の芭蕉句碑を見て、美濃国分寺(青野)までは電車がないので、1時間歩いて念願の芭蕉塚を見た。坐骨神経痛の身にこの散歩はしんどかったが、講演会場でもてなされた水饅頭でその疲れもどこかへ。おすすめの茶菓である。

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# by bashomeeting | 2015-09-18 03:56 | Comments(0)
 人にはそれぞれ、できることと、できないことがある。わたくしどもは、できないことは他者に依存し、できることについてはできない者に手をさしのべればよいのである。誰にとっても、自給自足が絵空事であることは承知しているはずなのに、たとえば「老後は子供にも医者にも世話にならぬように暮らしたい」などときれいごとをいう。そんなMonsterなど、いままでいたためしがない。

 独立とは、他者に依存するときは依存して、けっして争わないことである。誰かに教えてほしいのだが、まがりなりにも、それを七十年やってきた国は何もこの島国ばかりではないのではなかろうか。とすれば、戦争放棄とはできない理想でなどなく、持ちこたえている現実なのだ。世界に誇るべきその模範を、みずから捨てようとする為政者の蒙昧を悲しむ。

 ところで、国際平和の維持や生活安定のための国際協力をめざしたはずの国際連合はいったい何をしているのか。ものごころがついて以後、学校教育で受けたその理想を、国際連合に感じ取ったことはほとんどない。死に体である、という評価がくだるまえに、大国のエゴを修正する哲学の降誕を心から望んでいる。

  そばの花美しければ人貧し        木村 道子

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# by bashomeeting | 2015-09-17 13:34 | Comments(0)
 8月4日、「安保関連法案に反対する東洋大学有志の会」という会とそのホームページが出来て、「安全保障関連法案に反対する」声明が公表された。私は近年各界にびまんする「強権の行使」に深く失望しているが、声明に「民主主義の根幹は民衆が声をあげることにあります」とあることばに己を奮い立たせて、自己規制を解いて、賛同の署名をすることにした。なお責任上、なおホームページのトップには「教員、職員、学生、卒業生、退職者、元教員など東洋大学に関連する方は、どなたでも……」とあることを書き添える。http://toyouniyuushinokai.wix.com/seimei

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# by bashomeeting | 2015-08-15 08:52 | Comments(2)
 7月25日(土)は無花果句会(於東京文化会館)だった。雑詠三句、兼題三句の会で、海紅の投句は以下の通り。「髪洗ふ」「夏帯や」「単帯たたむ」に多少の評価を得た。

◆当季雑詠
胡瓜もみ二杯の飯をたひらげし
旅心ハマナスの句を口ずさむ
髪洗ふ不機嫌なれば念入りに

◆兼題「夏帯(単帯)」
夏帯やもう過去のこと過去の人
管理職らしき祝辞や単帯
単帯たたむ悔やむな悔やむなよ

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# by bashomeeting | 2015-07-27 19:50 | Comments(0)
 日本の詩歌を講じる担当科目の前期最後の講義で、橋本多佳子の著名句「祭笛吹くとき男佳かりける」(句集『紅絲』昭24)を取り上げ、この句は祭笛が祇園祭のそれであること、時代が敗戦直後であることを踏まえなければ十分な解釈と鑑賞が難しいことを解説し、俳句はこうした知識を必要としないところまで私意をそぎ落とすところをめざしたいと結んだ。

 そして、その時代背景を想像する目的で茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」 を朗読して聞かせた。だが、その末尾に改行して据える「ね」だけは胸が詰まって、どうしても声にならないのであった。

 わたしもまた、子々孫々のために、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(日本国憲法第9条)という理想を追求する国を尊敬し、こよなく愛する者のひとりである。


わたしが一番きれいだったとき   茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね      ―『茨木のり子詩集』―

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# by bashomeeting | 2015-07-27 12:34 | Comments(0)
  俳諧にいう「物付」と「心付」(去来『去来抄〈修行〉』による)

 俳諧入門書を読んでも、それぞれ解説には微妙な食い違いがあってわかりにくい、という学生の迷いをはらすために、「物付」と「心付」に関して以下の通り整理する。参考文献に示される通りに説いてもわからないわけだから、踏み込んで意訳を試みる。私の姿勢は「『去来抄』を額面通りに読んでは誤解する」という、東明雅先生の考え方に沿う(東明雅『連句入門』)。

【教訓1】物付は避けよ。心付も前句の句意の全体を踏まえることは避けよ。なぜなら散文に似てしまうから。
《去来抄》付物にて付け、心付にて付くるは、その付けたる道筋知れり。
《口語訳》(付句を)前句のことばの縁や、句意(全体の心持ち)を踏まえて付けると、前句とのつながりが容易にわかってしまうのでよくない。

【教訓2】「映り(移り)」・「匂い」・「響き」は余情であって、付け方ではない。
《去来抄》付物をはなれ、情を引かず付けんには、前句の映り・匂ひ・響きなくしては、いづれの所にてか付かんや。
《口語訳》ことばの縁に因らず、しかも句意を付句にそのまま持ち込まないためには、前句の余情(映り・匂い・響き)をしっかり理解することが肝要。

【教訓3】「心付」は意味や場面を転換することで余情を生む。
《去来抄》蕉門の付句は、前句の情を引き来たるを嫌ふ。ただ、前句はこれいかなる場、いかなる人と、その業、その位をよく見定め、前句を突き放して付くべし。
《口語訳》蕉門では前句の意味や内容にぴったり結びついた心付(句意付)を嫌う。(そうならないために)前句はどんな場面か、どんな人物が描かれたか、つまりその人物の行為(業)や品位(位。人や事物にそなわる気高さや、上品さ)を理解し、その上で句意(意味や内容)と距離をおいた心付をすべきなのだ。(つまり、その結果、前句と付句との間に醸し出される余情を「映り」とか「匂い」とか「響き」と言っているわけだ)。

【教訓4】物付も時には腕前である。
《去来抄》先師曰く「付物にて付くること、当時好まずといへども、付物にて、付けがたからんを、さっぱりと付物にてつけたらんは、また手柄なるべし」。
《口語訳》但し芭蕉は次のようにも言った。「今日、ことばの縁で付ける方法は好まれないが、それでも付句がむずかしいときなどに、あっさりとことばの縁で付けるという場合はあって、これはこれで技量の一つといってよい」。

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# by bashomeeting | 2015-05-26 06:58 | Comments(0)
 三十三回忌に招かれたのは、これが初めてのような気がする。
 S子が大学の教員になったのは二十九歳ときわめて早かった。そしてその初年度の業務を終えて、新年度を迎えた四月に病没。つまり享年二十九であった。残された者たちに、この四月で三十二年の歳月が流れたことになる。
 御両親から手紙をもらった。娘の短い生涯を思うとき、一緒に勉強をしていた友達を抜きにして偲ぶことはむずかしい。忙しいとは思うが、町役場前の停留所まで迎えに出るから、仏前に顔をみせてくれという。三十三回忌といえば忌あげである。先生が御存命であれば、必ず墓前にお参りしたにちがいないと、新幹線に乗った。
 S子は親の勧めに従って郷里の商業高校へ進学。卒業後は近隣の銀行に勤めて、良縁にもめぐまれ、平穏な家庭を築いてほしいというのが親の希望であった。しかし、その高校で受けた国語の授業で、古典の魅力にめざめ、高卒後は大学に進学して国文学を学びたいと言い出した。親は経済的な理由をあげて引き留めるのだが、夜学を選んで自活するといって説得し東京へ出た。ボクらの時代に珍しくはない学生像だが、初心を見失うことがなかった点で、S子は大いなる刺激であった。
 法事はまず自宅において行なわれ、ボクらは住職に導かれつつ全員で般若心経を朗誦した。
 すなわち、私とは、私の身体を構成する感覚や思考という集合体が反応した生理的な機能である。存在がそのように実体のない複数の集合の機能である以上、自我だの個我だの利己だのというものは幻であって実在しない。逆にいえば、そのようなカタチで存在することを空といい、それに対する執着を捨てさせてくれるのが智恵であるということを、自らに言い聞かせた。
 法要はそれから寺へと出向き、さらに墓前にお参りして御斎となった。三十三回忌とは、初対面の縁者の人々と、時折笑いながら思い出を語ることのできる時間であった。

春風におされて背筋伸ばすなり
行く春の三十三回忌を修す

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# by bashomeeting | 2015-05-12 05:55 | Comments(0)
 先の「谷地海紅氏の限界」記事については、三人の方からいくつかお教えいただき、以下のようなことがわかりましたが、ボク自身の具体的な反省材料は不明のままで、手に入りませんでした。よって、本件はこれにて終了させていただきます。なお、このブログのコメント欄を通して御心配いただいたものは、万が一にもコメント者に御迷惑がかかってはいけないと思いましたので、いただいたコメントそのものを削除させていただきました。

 わかったことは以下の通りです。
1)当事者は『後拾遺和歌集』に高い見識のある方らしいこと。
2)当事者には、そのお仲間から本件「iPhone debut◆谷地海紅氏の限界」の内容が伝えられたらしく、五月七日のツイートに「私はその方をよく存じ上げているわけではないので、2013年のその日、TLにその方のエッセイへのリンクか何かが示されて、それへの感想を書いたのではなかったかと思う。よく覚えていないが」とあり、文中「その方」とはボクのことらしいこと。
3)Twitterとは同名の会社(本社カリフォルニア)が運営する、Web上の情報サービスで、そこでは独特のゆるやかな人間関係(よく理解できないが……)を結ぶ人々が、140文字以内で投稿しあい、いま起きているできごとを、さまざまな角度から考えることに役立てているということ。
4)Twitterの情報が流れるベルトコンベアのような運動体をタイムライン(TLと略すのだそうだ)ということ。
5)Twitterは必ずしも求めるものを絞り込んだり、深めたりする運動体ではないこと。

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# by bashomeeting | 2015-05-11 16:47 | Comments(0)
 家庭の事情で、この三月にいわゆるガラケー(ガラパゴス・ケイタイ)からiPhoneに切り替えた。通勤の行き帰りを研修時間と決めて試行錯誤を重ねていると、「私はその見解をこそ谷地海紅氏の限界ではないかと見る。」という、嵐でちぎれたポスターのような記事に出くわした。名指しされることから推測して、これは99パーセンボクのことと考えてよいように思う。しかし、前後の脈絡が分からないので、平静を装いながらも実はiPhoneを欲しがっていた心底を見透かされたのか、それともどこかに書いた舌足らずな言説を批判されているのか、さて反省のしようがない。己の限界は自分でも知りたいし、名指しで叱ってくれる人はなかなか得がたいので、詳細を読んで御礼を言えるなら、それにこしたことはない。どうすれば、その全体を閲覧できるのであろうか。乞う教示。ディスプレイに示されるその他の情報は「okano tigaya(@tigayam)2013年04月-Twilog」「4月28日」「posted at 00:35:4」である。


  けふのみの春を歩いて仕舞けり     蕪村(句集217)

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# by bashomeeting | 2015-05-04 14:48 | Comments(0)
 「マッサン」という連続TV小説のおかげで、ウィスキーをちびりと呑むことを覚えた。友人が上半分のくびれたテイスティンググラスをくれて、「シングルモルトは、このグラスを立ちのぼる香りを愉しむのだ」と教えてくれた。自宅でウイスキーを呑むなど数十年ぶりのことかもしれない。

春宵の盃を措くこと勿れ    高野素十


→蘇軾の七絶「春夜」は以下の通り。春宵一刻値千金 花に淸香有り月に陰有り 歌管樓臺聲細々 鞦韆院落夜沈々

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# by bashomeeting | 2015-04-27 08:09 | Comments(0)
 旧臘であったか、娘が「水戸の本格芋焼酎」と銘打つ酒をたずさえて戻った。「水戸農業協同組合・水戸市特産農産物等推進協議会共同企画」とある。中に「一人笑」「二人笑」「三人笑」という各々300㎖の三種の酒が入っていた。「一人笑」は「たまゆたか」を原料とする上品な甘味、「二人笑」は「いずみ十三号」を原料とする爽やかな余韻、「三人笑」は「ひたちれっど」を原料とする、華やかでフルーティな味わいが特徴だという。特急電車の名前のような「たまゆたか」「いずみ十三号」「ひたちれっど」は水戸名産「三色干し芋」の原料。立夏を前にこの空き箱を捨てる決心をしたので、ここに記録を残す。話し相手との関係を示す「人称」の「称」を「笑」に言い掛けたところに、酒席を想像させる冴えがある。

湖に鳰のちひさき暮春かな    金田けんじ
行春や帰国の望みなく妻と    相田 苔蘆

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# by bashomeeting | 2015-04-27 07:24 | Comments(0)
 ボクの俳句は常磐線沿線に住む素十・紅花門の人々に育てられた。彼らは虚子の教えを支えに、ひたすら句作する人々であったが、それは近代俳句史の表舞台とは距離を置く人々でもあった。「世に出ようとしない」という意味である。
 昨年の十一月二十九日(土)と十二月六日(土)の二日間、日立のとある生涯学習センターから県民大学講座の依頼があって、「たしなみとしての俳句 ―心あたりのある風景―」という全十時間のカリキュラムの講師をした。企画担当のkunikoさんから、「東日本大震災後の県民に日本文化のおもしろさに気づく機会を提供して、生き生きと前向きに、生活に張りが出るような手伝いをしたい」、「俳諧の歴史や先人の作品の味わい方、楽しみ方を学んで、自ら俳句を作る生活に結びつく話をしてほしい」と説き伏せられた。
 俳諧の歴史を講じるのが主目的なら、すぐれた研究者を紹介できると思い、固辞もしたが、「俳句を作る暮らしを身につけて、震災後の生活に元気を取り戻したい」と言われると断れなくなった。俳句を作る愉しみを伝えるのが最終的な目的なら、実作と研究の双方に足を突っ込んできた、ボクの仕事かもしれないと思い上ったのだろう。
 実は、引き受けた理由はもうひとつある。二十代から三十代にかけてお世話になった人々が住んでいる、あるいは住んでいた常磐線に乗って、その昔を一人でしみじみと思い出す時間をもちたい。すっかり御無沙汰しているけれど、この県民大学講座の案内をどこかで目にして、「アイツガ来ルナラ、ヒトツ聞キニ行ッテヤルカ」といって会いに来てくれる朋友がいるかもしれないと、ひそかに期待したのである。
 はたして二人の旧知と再会し、この講座からひとつの句会が誕生した。「たしなみ句会」という。十王パノラマ公園と、日本でただ一つの鵜捕り場のある鵜の岬を交互に隔月で吟行しているから、芭蕉会議のメンバーも連れて来いという。
 この講座を引き受けてよかったと思う。

この村の蜷も田螺も素十恋ふ      村松 紅花
街に東風吹きそめ嫁ぐ日もきまり    石井 双刀
駅守る花見句会をあきらめて      戸井田 厚
残る鴨おほかた太り過ぎと見し     戸井田和子
若鮎も山女魚も育ちゐる闇か      小川背泳子
死してなほ翅に風ある蝶々かな     小沼  道子
燕は巣作り校長忙しき         鷺  孝童
一祝あり沼燕ひるがへり        鷺  くら
# by bashomeeting | 2015-04-07 10:36 | Comments(0)
 2014年 09月 12日のblog〈気ままな芭蕉散歩◆上野市駅前の芭蕉像〉で〈上野市駅前の芭蕉像の杖が、心ない人に折られたと聞いていたが、すっかり修復され、折から「これまでに経験したことのないような大雨」にも逢って生き生きして見えた〉と書いた。
 先日、AIさんがこの事件の顛末がサイトに出ていますよと教えてくれた(伊賀タウン情報ユー・サンスポ電子新聞)。それによれば「芭蕉像のつえ誤って壊」したのは「土木作業員の少年」ということである。
 すなわち「昨年5月10日の午後11時ごろ」、当時16歳の少年がイタズラで台座に登って、バランスを崩して杖につかまった際に折れた。平成27年2月27日決着。知らせを受けるまで、なにも知らなかった母親は謝罪の上「修復費用34万5600円を支払った」という。
 イタズラは思いのほか高くついたわけだが、このような失態の一つや二つは誰にも、つまりボクにもあるなあと思って寒気がした。少年も母親も、この失敗を何十年も引きずるのかと思うと気の毒な気もする。「心ないワザ」は、ときどき「罪のないワザ」に端を発したものだから。


# by bashomeeting | 2015-03-30 10:05 | Comments(0)
 ブナ原生林  椎名美知子

篠突く雨
清冽な一筋のながれになって
ブナの木肌を急ぎ急ぎつたう

腐葉土はたちまち水をはらみ
つやつやとブナの若木
林のすべてが語り始めた

低地の沼では
妖精たちの舞い
霊気が他者の介入をはばむ

時雨が去って
林は微笑みとなって香り立つ
喧騒と宴の後に来るもの

育みやがて朽ち
次代に受け継がれ

ブナの高みの果ての碧
一時の青も永遠の青も同じかもしれない

→詩誌『沙漠』№276(平成26年12月)所載。発行者は平田真寿(〒802-0074北九州市小倉北区白銀2丁目1-5-302)。この詩を読んで、昨夏の旅で佇んだ「美人林」(ビジンバヤシ。十日町市松之山)を思い出した。変な名前なので、たどり着くまで想像できなかったが、丘陵に生い茂る樹齢約90年ほどのブナの群生地であった。驟雨と呼ぶには激しく長すぎる雨で、同行の多くはバスで雨止みをしたが、ボクは携行した小さな折りたたみ傘をひろげて、雨がせせらいで下る坂を登り、林間の沼を見下ろせるところで、キノコのように屈み込んだ。そして傘をはみ出た雨に下半身を濡らしながら、「腐葉土はたちまち水をはらみ」「林のすべてが語り始め」る声を聞き、「育みやがて朽ち」ゆく時間を思い、「一時の青も永遠の青も」同じであると感じていた気がする。2014年 09月 12日付の「湯呑みの素十句◆家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十」というブログで書いた卒業生との旅のひとこまである。


# by bashomeeting | 2015-03-03 05:47 | Comments(0)
「焚くほどは」脇起こし連句(一巡)

焚くほどは風がもてくる落葉かな      良寛
のど風邪治り戻る教室           波平
講義など聴く者はなし雪降りて       萌
ムサシと呼べば走り来る犬         由希菜
月天心晴れて居酒屋開業す         佳奈
秋刀魚枝豆だし巻きが好き         純平
萩揺るるコート出さうか出すまいか     北斗
兄弟二人舞浜にあり            真也
センター・オブ・ジ・アースやばいやばいよな  七海
野球すなはち青春と言ふ          莉沙子
タイガース契約を機に婚約す        小百合
大安売りのまづいタコ焼き         竜
寝そべれば波音近し夏の月         幹大
母の笑顔に似たる向日葵          恵祐
スーパーのバイト一年ちよつとして     大輔
卒業の日に引つ越しをする         淑恵
友人の故郷に来て花明かり         智美
枕に聞くや春の川音            祐也
朝食に摘んだばかりの蕗のたう       岳

→平成26年度俳諧ゼミ恒例の「初めての連句」。良寛の句を立句に一巡。連衆は関口波平・金子萌・小川由希菜・原賀佳奈・山本純平・神谷北斗・中村真也・豊田七海・矢郷莉沙子・今崎小百合・浅野竜・高田幹大・澁澤恵祐・中田大輔・柴淑恵・山田智美・小林祐也・高橋岳の18名。


# by bashomeeting | 2015-03-02 17:37 | Comments(2)

謹賀新年

あけましておめでとうございます

 平成二十七年 歳旦
妹 の 順 番 が く る 初 鏡  海 紅


# by bashomeeting | 2015-01-01 05:21 | Comments(0)
送られつ送りつ果は木曽の秋(芭蕉・笈日記)
送られつ別れつ果は木曽の秋(芭蕉・更科紀行)
草いろいろおのおの花の手柄かな(芭蕉・笈日記)

→『古今集』(巻四・秋歌上)の「題知らず」「よみ人知らず」に「みどりなるひとつ草とぞ春は見し秋はいろいろの花にぞありける」「ももくさの花のひもとく秋の野に思ひたはれむ人なとがめそ」「月草に衣は摺らむ朝露にぬれてののちはうつろひぬとも」の三首が並ぶ。忙しく立ち働いたので、今年の秋の記憶は格別で、そして迎えた冬はいつも以上にさびしい。しかし、見上げる十二月のオリオンのあたりの星々が、明るく賑やかなのことには慰められる。Sさんも、Gさんもきっとあのあたりにいる。

# by bashomeeting | 2014-12-18 02:53 | Comments(0)
 癸丑歳偶作

十 有 三 春 秋
逝 者 已 如 水
天 地 無 始 終
人 生 有 生 死
安 得 類 古 人
千 載 列 青 史

→『頼山陽詩選』(揖斐高注 岩波文庫 平14)。「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」(『論語』子罕)。「天地終極無く、人命朝霜の若し」(曹植「応氏を送る」)。

# by bashomeeting | 2014-11-25 09:17 | Comments(0)
 十月十一日はホテルに素泊まりして、翌朝は八時十分の「のぞみ」で名古屋へ。関西線に乗り換え、亀山でもう一度乗り換えて伊賀上野に十一時五十八分着。伊賀市からの芭蕉祭の案内状に「柘植の里 芭蕉ゆかりの史跡めぐりバスツアー」というのがあったので、紅花先生の「芭蕉柘植誕生説」をなぞってみようと考えたのだ。ボクは芭蕉生誕地研究に柘植か赤坂かという対立軸を持っていない。ただ、その生涯を知れば知るほど「柘植で生まれて、赤坂に育つ」と考えた方がよいと思うようになっている。柘植の人たちは紅花先生著書を引用しながら、まことに丁寧に案内してくれた。滞在二時間、電車で往復八時間というひとり旅だったが、それだけの収穫はあった。

【行程】上野公園ロータリー(上野城入口)→伊賀市役所→赤坂(芭蕉生家)→西明寺→上野車坂町→中瀬IC(名阪高速道、亀山・名古屋方面)→柘植IC(名阪高速道を下りる)→芭蕉翁生誕跡地(福地一族を祖とする)→萬寿寺(旧長福寺、福地・松尾家菩提寺)→芭蕉公園(福地城址)→帰途


# by bashomeeting | 2014-10-24 17:22 | Comments(0)

白山句会◆神保町界隈

 十月十一日(土)の白山句会は神保町界隈の吟行であった。
 ボクは喫茶「さぼうる」の季節はずれの釣忍を眺めて学生時代を忍び、古書店を一二覗いて、駿台下に立ち止まっているeiさんに声をかけて、ひとり錦華小学校(現区立お茶の水小)に歩を進め、「明治十一年 夏目漱石/錦華に学ぶ」という碑を仰ぎ、漱石先生を同道して歩くことにした。錦華公園で、明大生と思われる二人の素人漫才の稽古を愉しみ、末枯と薄紅葉に憩い、錦華坂を下りて、遠くに笠間書院の看板をしみじみとながめて、句会場の「なにわ」さんに向かう。このあたりはよく歩く地域だが、いつもひとりだから飲食店に立ち寄ることは少ない。でも「なにわ」はふらりと腰を掛けられるお店のように思えた。翌日は日帰りで伊賀に行くので、さっさと帰途に就けばよいものをものを、例によっていつまでも秋の夜風にさまよう。神保町は裏切らない、まことに奥が深い。

古書店があれば歩をとめ秋の風
薄紅葉淋しくなりて腰を上ぐ
薄紅葉淋しと言ひて又歩く
末枯といふたまさかに揺るるもの
末枯の又うなづいてくれにけり
又逢へた又逢へた草紅葉行く


# by bashomeeting | 2014-10-24 17:02 | Comments(0)
 十分にとは言えないが、今年は十五夜を、十三夜を、そして直前に教えられた月食も見ることができた。紅花先生遺語に、日常を忙しくしている人ほどよい句ができる、ヒマになったので俳句を始めましたという人はほとんどダメなものだ、というのがある。その意味では最近のボクはよい句を授かってもよさそうなものだが、どうも教え通りにはならない。先生の教えは、どれほど忙しくても三十分くらいは今日の自分を振り返る時間をつくりなさいというものであったろう。今年もあと三ヶ月をのこすのみ。一服の清涼剤をもとめて、忙中の閑にめぐまれたいと願っている。

  鉦叩聴いてをりしが寝付きたる  海紅


# by bashomeeting | 2014-10-09 04:56 | Comments(0)
降りしきる雪に古人の貧しさを讃へたまひし師は逝きたまふ
紅花とふ俳号を虚子に賜りて風花のごとき俳句をなしぬ
あをぞらを自在に飛べる雪片のきよき墓標をなさむ紅花忌
北寿老仙をいたみて啼ける雉子なり師の学恩に報はざる身も

▶▶江田浩司歌集『逝きし者のやうに』の「村松友次先生を哀悼する」という章から。本書は平成26年(2014)9月、北冬社刊。塚本邦雄・山中智恵子・近藤芳美・北村太郎・多田智満子・村松友次・荒川修作・中川幸夫その他、作者の精神史を支えた古人を追悼する。その中に実父、そして与謝蕪村を含む。なお仮に歌集と紹介したが、集中に俳句2句、詩1篇があり。
# by bashomeeting | 2014-10-04 08:14 | Comments(0)

浅酌◆酒席で母を語らず

 無花果句会は帰途に浅酌をして別れる。毎回でもなく、全員でもなく、清談をおもかげにした三十分ほどの時間である。二十七日はどのような流れからか、「親と子」の話題になった。「酒席で母を語らず」とは、その際のhakuさんのことば。以来心にしみて忘れられない。

  秋蚕見に行つてなかなか戻らざる  前島夢人

# by bashomeeting | 2014-09-30 04:58 | Comments(0)
「秋の暮」は「秋の夕暮れ」の文学史である。それを決定づけたものの一つ『枕草子』は〈秋は夕暮れがもっとも秋らしい。夕日が山の端にかかるころに烏が数羽ずつ寝床に急ぐ姿が見える景色、日本に渡ってきた雁の列が小さく見える景色など。そして日が落ちて何も見えなくなり、風や虫の音が耳につくころには、先ほどの夕暮れの景色がしっかり脳裏に刻まれる〉(拙訳)とある。この秋の夕暮れはやはり〈美しくも淋しい〉景色だろう。

 一方和歌では〈美しくも淋しい〉の〈淋しい〉世界が強調され、たとえば「さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ」(良暹・後拾遺・秋)はひとりぽっちである(仏道修行の)淋しさと、景色の淋しさの二つを同一視。「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮・新古今 ・秋)は常緑樹の槙の山を見ても癒やされない、つまり色(景色)ではなく境地(心境)としての淋しさ。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行・新古今・秋)は鴫が音を立てて沢を飛び立つさまから、出家者にもあるしみじみする心の表明。「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」(定家・新古今・秋)は苫葺きの小屋が点在するだけの海辺の景色から、この賞美するもののない世界こそ秋の夕暮れという展開を見せる。こうして「秋の夕暮れ」は古びて閑寂な味わい、つまり「さび」の世界を描く時空となってゆく。

 ちなみに、「秋」の本意は「四季で一番素敵な季節→秋は過ぎ去るもの、悲しいもの→人生や恋の過ぎ去ることを惜しむもの→〈深まり〉の象徴」というふうに変化してゆく。それを例歌で示せば「春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる(不知・拾遺・雑)→おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しきものと思ひ知りぬれ(不知・古今・秋)→秋風の吹きと吹きぬる武蔵野のなべて草葉の色変はりけり(不知・古今・恋)→鳰の海や月の光の移ろへば波の花にも秋は見えけり(家隆・新古今・秋)」となろうか。
# by bashomeeting | 2014-09-29 20:02 | Comments(0)
 九月二十七日(土)は無花果句会であった。新橋の日本エッセイスト・クラブ事務局が会場。手帳を見るとGallery美庵(銀座8)の市川雅彦日本画作品展が翌日まで開催とわかったので、情操を養ってから向かうことに。在所に引き籠もっているせいか、展覧会の案内をもらっても失礼することが多い。このたびは幸運であった。この二点は歩いて行ける距離である。

 丸ノ内線の銀座を地上に出て中央通りを歩き、まず六丁目の菊水に立ち寄る。折れてしまったブライアのマウスピースを取り替えてもらうのだ。

 それから一本ウラの金春通りを新橋方向へ歩く。Gallery美庵は江戸指物の平つかビルの五階だった。エレベータで男性と一緒になる。それが市川雅彦氏であることはすぐにわかった。弟君と懇意にしているからである。
 画はすべてカッパドキア(トルコ)をモチーフにして、人は見当たらないが、画布全体の色彩にあたたかな人の暮らしを縫い込んであるという印象。むかし子どもに読み聞かせたムーミン、中国で目にした似たような住居を思い出した。恥ずかしながら、思い出したことをそのまま市川氏に話した。芝居・音楽・絵画などで、絵の話題がもっとも苦手なのである。

 どれも抱えて持ち帰れそうな親しみを覚えつつ、絵は一部屋に一枚で十分だなと思った。可愛らしいギャラリーに十数部屋分の絵がところ狭しと並んでいたのだ。

 高速道の下をくぐり、外堀通りの四つ角にある宮越屋で珈琲を飲んでから句会へと向かった。宮越屋は札幌が本店の濃い珈琲の店である。御嶽山噴火のことは帰宅後に聞かされた。

  露を見るやうになりしはこの句以後
  朝顔を這はせて道をせばめ住む
  秋の日の置き忘れたる本ぬくし
  どうしても似て来るおかめ南瓜かな
  南瓜飯家族がそろふこと嬉し


# by bashomeeting | 2014-09-29 14:17 | Comments(1)
 九月二十日(土)の午後は俳文学会東京研究例会(於江東区芭蕉記念館)に出席して、新出芭蕉書簡の研究発表とツバメと蝶の句の輪講(不卜編『続の原』)に学んだ。そして、真贋は内容(読解)により、必ずしも筆蹟によってはならないことを学び、輪講では研究者もまず発句の定式(formulation)を学ぶべきであると思った。そこをおさえないと解釈が混乱する。帰途は葛西でkuniさんと夕食。芭蕉会議への助力の御礼を述べた。


# by bashomeeting | 2014-09-23 07:46 | Comments(0)
 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。(貫之・古今集・仮名序)

  なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ
といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土もここも、思ふことにたへぬときのわざとか。今宵、鵜殿といふところに泊る。(貫之・土佐日記・二月九日)

→詩ハ志ノ之ク所、心ニ在ルヲ志トナシ、言ニ発ハルルヲ詩ト為ス。情中ニ動キテ言ニ形ハル。之ヲ言フニ足ラズ、故ニ之ヲ嗟歎ス、之ヲ嗟歎スルニ足ラズ、故ニ之ヲ詠歎ス(毛詩・序)
▶▶『毛詩(詩経)』「序(国風序)」。心に思うことが韻文の形式通して詩となり、韻文のかたちにできない人の心をとらえる。そしてその詩に満足できないとき、人は歌い始める。
# by bashomeeting | 2014-09-22 14:27 | Comments(0)
 チカちゃんの近詠が『一滴の』(東奥日報社 2018.8)という「東奥文芸叢書 俳句」の一冊になって届いた。B6判128頁に360句を編年で並べ、各年に「砂日傘」「蓮浄土」「月祀る」「聖夜劇」「雛納め」の名を与える。1ページあたり三句を排列。まず一覧して、そのまま今日の山房の景色に重なる句を抜き出し、その旨礼状にしたためた。

# by bashomeeting | 2014-09-21 14:35 | Comments(0)
 卒業生との年に一度の親睦旅行(8.23~24)。今年は新潟県十日町市の仙郷松之山、宿泊は「ひなの宿 ちとせ」であった。

 割りふられた部屋に落ち着き、仲居さんが入れてくれたお茶を飲もうとして気が付いた。湯呑みに「家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十」と高野素十の句を刷り込んで、高台に「有田/順天」とある。フロントに電話をかけると、売り物ではないがと言いつつ、450円でわけてくれた。

 フロントに向かって左の壁に掛かる額装を読むと「家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十/この句昭和廿五年高野及川/両博士が千歳舘に御滞在の(折)の句也/短冊焼失して無し/苦行林かく」とある。「及川」とは素十とともに新潟医科大学に奉職した及川周(まこと、俳号仙石)であろう。「千歳館」はこの宿の元の名前で、三年ほど前に建て替えて「ひなの宿 ちとせ」としたらしい。若女将によれば、「短冊焼失」の火災は昭和二十九年のことで、「苦行林」とは地元の俳人だという。

 句はこの地に大伴家持がこの地に隠れ住んだという伝説によるようだ。家持は六十歳を過ぎて陸奥に赴任していたように思うが、越後に隠れたという話は初めて知った。地元の女との間に設けた娘が実の母を慕って飛び込んだという秘話「鏡が池伝説」が残っているという。

 なお、この句は宿に大事にされて、和紙のランチョンマットにも刷り出してあった。なお、帰宅して文庫版『素十全句集』(永田書房)を見たが、この句は採られていない。

 美人林とか農舞台とか、安吾記念館になっている大棟山美術博物館のことなど、書き留めておきたいことは多いが、いまは時間がない。
# by bashomeeting | 2014-09-12 10:02 | Comments(0)
 仕事で伊賀市に出かけて一泊(8.7~8)。ボクの慰労をするよと言って、hiro先生が気ままな芭蕉散歩につきあってくれた。上野市駅前の芭蕉像の杖が、心ない人に折られたと聞いていたが、すっかり修復され、折から「これまでに経験したことのないような大雨」にも逢って生き生きして見えた。

  黒板に文月と書き遊女と書き  村松紅花

# by bashomeeting | 2014-09-12 09:45 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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