終戦記念日◆霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)
2022年 08月 15日
金子光晴
バネのこわれたベッドのうえに
仮死の子が横たわる。
むりにも子供を病人にしたて、
敵のてだてのうらをかこうと。
非国民の父親は、窓をしめきり、
松葉で子をいぶしたり、
裸にして、庭につき出し、
十一月の長雨にたたかせたり、
子は、衰えて眠る。夜もふけて、
父は、子のそばで紅茶をいれる。
人がみな、鬼狼になった時代を、
遮断する、破れカーテンのうち、
タムの穿く
刺繍の靴。
蒟醤の箱、プノンペンの面。
それら、みな。
子の父や、母が、子のために
世界のすみずみを旅して
あつめかえったおもちゃの影まぼろし、
幾歳、心の休み所となったこのかくれ家。
この部屋も、あすは木っ端みじんとなろう。
だが、その刹那まで、
一九四〇年日本の逆潮を尻目の、
ここの空間だけが、正しいのだ!
窓のすきまを忍び込む、
風がことりという。
戸外の夜陰をひっさらって
「時」の韋駄天走りをかいまみて、
子と父を引き裂くその「時」が
刻々に近づく
だが、その不安を
しまいまで、口にすまい。
子はねむる。わるい夢をみてか
ときどき、うなされるが、
父は、机にむかって、
アリストファネスをよむ。
▶▶金子光晴(昭和50没、享年80)。作品は『落ちこぼれた詩をひろいあつめたもの』という詩群による。