海紅山房日誌

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 栃木県歴史文化研究会の第24回大会で講演した(於栃木県立博物館 8.30)。昨年の「黒羽芭蕉の里全国俳句大会」の話と同題。黒羽で聞いてくれた史学者araさんが、もうすこし詳しく話せということでこうなった。
 すなわち、『おくのほそ道』に収められる句々は、ゆかりの地において御当地ソングのように親しまれることはあっても、芭蕉の生涯における意味が問われることは少ない。そこで、名作の名をほしいままにしている『おくのほそ道』を批判的に読みつつ、「軽み」と言われる晩年の作風に及んだ。そして、作風の変化は人生の変化であること、変化する理由は芭蕉がそれだけ自分の命に誠実であったからという結論。同じテーマで話すことが、ボク自身がより深くものを考える機会になる。ありがたい一日だった。会場の博物館はちょうど「とちぎの鉱物」という企画展をやっていた。知らない分野を覗くのもおもしろい。駅で肉の多い餃子、野菜の多い餃子を買って帰途についた。



# by bashomeeting | 2014-09-12 09:11 | Comments(0)
1)幹事が事前に用意するもの。車座もしくはロの字に座れるテーブル、封筒(人数分)、切り短冊(随意。人数の5倍程度でいかが)、時計(手持ちのもので可)。
2)幹事は参加者に封筒一枚と切り短冊(適宜)を配り、まず封筒のオモテに任意の題を書かせる。(出題と投句数、まだ句作の制限時間については、事前に方針を決めておくことが望ましい)
3)全員が題を書き終えたら、幹事の指示に従い、題(封筒)を通常の句会同様に、右隣の人に渡す。
4)左の人から渡された題(封筒)で、各自が制限時間内に句を詠んで、その切り短冊を手許の封筒に入れる(無記名投句である点は通常に同じ)。幹事のTime up宣言で終了。
5)投句の入った封筒を右隣に渡し、左から渡された新題でまた句作して封筒に入れて右隣に渡す。
6)これを自分の出題が戻って来るまで繰り返し、自分が出した題で句作して投句終了。
7)これ以後の手順は通常に倣って(つまり筆蹟で作者が判明するのを防ぐ目的で)、清記用紙に清記して、選句して披講という運びが望ましいが、情況によっては短冊を回覧し、佳句と思える句の短冊裏に選句者名を記入して披講へとすすむ方法もある。


# by bashomeeting | 2014-09-10 09:24 | Comments(0)
俳誌『たかんな』9月号が届いて、前表紙見返しの「倶子 今月の俳句―九月」欄をまず読む。そこに吉田千嘉子氏の解説で掲出句がある。句集『清韻』所載。旅先で袋廻しによる句だという。袋廻しは俳句遊びのひとつ(方法は別掲)。「夕さり」という歌語に支えられて和歌の趣を醸し出している。
# by bashomeeting | 2014-09-10 08:13 | Comments(0)
 よくない予報で諦めていた昨夜の明月、今宵の十六夜を見ることができた。いずれも雲から出たり隠れたりして乙であった。今月四日と五日の間に夢枕に出てきた人も、月光をこぼしかねているこの空を仰いでくれているだろうか。

  月の海月の野渡り妻がりへ     村松 紅花
  機関士に明るき月の牛久沼    佐怒賀ひかる
  月をがむことを母より教はりし   堀前 恵子
  美しき月なりければ泊め申し    石井 双刀
  湖の月の明るき村に住む      高野 素十
  選びたる大きな芋を月にあげ    鈴木 雨滴
  蜘蛛の巣に蜘蛛の出てゐる良夜かな 沢井山帰来
  

# by bashomeeting | 2014-09-09 19:15 | Comments(0)
 六日(土)の論文を読む会は安居正浩さんが〈芭蕉の俳文「紙衾の記」を読む〉というテーマで、この作品が出来る前後の作物を、講義のように、読み聞かせのように、丁寧に話をしてくれた。芭蕉について知りたい人が、すべて芭蕉に詳しいわけではないことを踏まえた配慮であったろう。
 後半にいたり、感想を述べあう時間になって、ボクもいくつかの思い込みを述べた。箇条書きすると、以下のようである。

1)はっきりしていない「俳文」の定義をするために、ボクは歴史における「うたの誕生」から説き起こすべきだと考えていること。
2)ボクがこの作品を愛する理由は、『去来抄』の「先師評」「同門評」や『旅寝論』、そして『三冊子』などもふれている「あだ」なる風がよく出ていると思うからである。
3)「あだ」なる風は「無邪気でユーモラスな詩趣」(『総合芭蕉事典』)と説かれるが、「小児のごとき無心な態度から生まれた」(同)という説明では不足で、「貧」や「わび」という世界と深い関わりを持っていること。すなわち、「軽み」という世界の奥行きを広げる大切な作風であること。それは、芭蕉が竹戸に〈なぜ紙衾を与え、「紙衾の記」を与えたか〉ということと無関係ではないと思うこと。
4)ボクらが従うべき心掛けも、こうした芭蕉の晩年にあること。


# by bashomeeting | 2014-09-09 11:32 | Comments(0)
墓参する道に菜の花咲きをれば遠回りして海沿ひに行く
母の手をとりて繰言しばし聞く子守歌のごと昔偲びて
母似とぞ言はれたりける手鏡に映れる顔に「会ひたい」と言ふ
宮島の赤き鳥居を眺むれば遠足の日のなつかしきかな
思ほえずウクレレの音に想ひ出づハワイにピアスあけしことなど

▶▶六日の論文を読む会で、作者に託されたと言って、山茶花さんが高須賀志津子歌集『身のほとり』をくれた。平成二十四年六月刊、私家版である。彼女にお目にかかることがなくなって十年以上になるであろうか、所収歌はそれ以後の暮らしを詠んだものと思われる。井本昌樹氏が筆をとる「『身のほとり』によせて」に「短歌は人の体温にいちばん近い詩型と言われる」と書いているが、まるでお付き合いが続いているかのように為人が伝わってきて、なるほどと思う。作者は書を能くし、かつて自筆自画の扇をいただいていることを思い出した。
今思えばそれがお別れのサインであったか。扇面に次の拙句をしたためてくれたもので、天下一品とあっては普段使いもままならず、大切にしまいこんだままであった。

  本当は
人間が好き杜鵑  海紅


# by bashomeeting | 2014-09-08 14:30 | Comments(0)
見慣れたる屋号を囲む秋思かな  小野裕三
藤圭子死にたる夜の蘆火かな   福永法弘

▶▶筑紫磐井さんから「BLOG俳句空間媒体誌」(刊記)と定義する『俳句新空間』№2(豈の会 平26・8)をいただいた。春興帖という趣向が新風を産み出すというコンセプトの成果の一例(「筑紫磐井◆春興帖論を読む」、blog「海紅山房日誌」参照)。曇り空で、今夜の仲秋の明月は見られそうにないから、「秋興帖」の選句欄から二句を紹介してみた。「見慣れたる」という句は磐井選の一句で、古風だが安定した景情、「藤圭子」の句は北川美美選の一句で、個人的なこだわりで掲出した。藤圭子さんは平成二十五年八月二十二日没。没後の世間を野分のない稲田、嵐の吹かないヨークシャーのように淋しがっている人はたしかにいる。


# by bashomeeting | 2014-09-08 11:08 | Comments(0)
夕月やしっかりするとくたびれる
寒ければ着重ね恋しければ逢う
初恋のあとの永生き春満月
相談の結果今日から夏布団

▶▶坪内稔典・中之島5編『池田澄子百句』平成26年8月刊、創風社出版。編者が選ぶ百句の一つ一つに、読者による解説文を添える体裁。帯にある「表現されているままに読む」「澄子を知らなくても読める」がこのシリーズのコンセプトであろう。著者の池田澄子さんは鎌倉生まれ。阿部完市、堀井鶏、三橋敏雄らの俳風を背景に持つらし。「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」という口語調の句で知られる。「船団の会」「豈」などで活躍。


# by bashomeeting | 2014-09-08 09:27 | Comments(0)
 今朝、アンコの入っていない鯛焼きのお腹のような時間ができたので、「マントうさぎ」〈http://mantousagi.exblog.jp/〉を開いて、「藤娘」(2014-08-03 )を読むことにした。すでに書いたかと思うが、このマントうさぎ氏には文体がある。つまり文章が脈打っていて、その相貌には散文詩の血が通っている。読み始めて谷崎の「春琴抄」を、読み終えて三島の「三熊野詣」の匂いをかいだ。読んでいただければ了解されることだが、読み終えた責任で、以下に感想めいた紹介を試みる。

 「藤娘」という文章は〈何もかもが夢のことのようだと思うことがある〉とはじまる。変化舞踊にふさわしい書き出しだ。その思いは琵琶湖畔の大津に越した妹を訪ね、ふたりで大津絵をさがしに出かけて「藤娘」の絵を買うことではずみがつく。「藤娘」の本名題は「哥へす哥へす余波大津絵」(かへすがへすなごりのおほつゑ)、作者には〈もの心ついた頃から「藤娘」と縁〉、つまり大津絵との縁があったのである。

 そして〈夢のことのようだと思う〉回想が描かれる。すなわち、幼少期から小学校まで、新しく造船所が作られた〈瀬戸内の小さな町〉で過ごしたこと、それは〈広島、長崎に原子爆弾が落ちて戦争が終わった年をはさんでおよそ10年の間〉だったこと、小学校入学の前の年に〈その社宅の庭で広島に落ちた原子爆弾の閃光とキノコ雲を見た〉こと、しかしその町では〈どこか戦争とは無縁なそこだけが一つの村のような隔離された暮らし〉をしたこと、その大切なものの中に、大阪からやってきた日本舞踊の先生について、芝居小屋で「藤娘」を踊るまでになったことがあること、終戦後はその〈芝居小屋の花道に座って、美空ひばりの映画「悲しき口笛」〉を観て、〈いつかひばりになる〉と誓い、戦後の動乱期にもかかわらず、〈父を説きふせて日本舞踊〉を続け、そして〈一度だけ大きな劇場で「藤娘」を踊った〉が、実は自分の「藤娘」に絶望していて、〈ひばりになる夢は、錯綜し、迷走〉しながらも縁づいて結婚、そして〈夢いまだに浮遊したまま、私は今老人である〉と展開する。

 作者は最近、夢のように美しい〈玉三郎、七之助の「二人藤娘」〉の舞台に自分の「藤娘」を重ねて、〈あれもこれも夢ではなかったかと思う〉と結ぶが、果たしてそうだろうか。〈遠い昔のこと、夢みて叶わないままの日々できごとの数々、めざめて、なんだかわからないが、いい夢をみていたような気がする〉と言い、〈そうでも思わなければ、あの日あのとき、たしかに踊った「藤娘」はどれもこれも無かったことになるように思えてくる〉と書く。だが、その夢や幻を実存(実在)と呼ばねば、ほかにそう呼べるものが、この世にあるであろうか。仕合わせなその境涯をねたましくさえ思う。


# by bashomeeting | 2014-08-29 10:35 | Comments(0)
  霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)

 終戦の日は例年、市村先生のこの歌を思い起こすことにしているのだが、今日は「東京新聞」2014.7.5(土)朝刊から、長谷川如是閑(1875―1969)の「戦争絶滅受合法案」の全文を転記しておこうと思う。月刊誌『我等』(第11巻、第1号)の巻頭言で、昭和4年(1929)1月号所収。転記に際し、原文表記のママを心掛けたが、辞書の都合で通行字体に改めたものもある。なお、原文箇条書き五の「召集後」には、強調する意図で傍点(黒丸)がついている。

     戦争絶滅受合法案
 世界戦争が終つてまだ十年經つか經たぬに、再び世界は戦争の危險に脅かされ、やれ軍縮条約の不戦条約のと、嘘の皮で張つた太鼓を叩き廻つても、既に前触れ小競り合ひは大國、小國の間に盛に行はれてゐる有樣で、世界廣しと雖も、この危險から超然たる國は何處にある? やゝその火の手の風上にあるのはデンマーク位なものだらうといふことである。
 そのデンマークでは、だから常備軍などゝいふ、廢刀令以前の日本武士の尻見たやうなものは全く不必要だといふので、常備軍廢止案が時々議會に提出されるが、常備軍のない國家は、大小を忘れた武士のやうに間のぬけた恰好だとでもいふのか、まだ丸腰になりきらない。
 然るに氣の早いデンマークの江戸ツ子であるところの、フリツツ・ホルムといふコペンハーゲン在住の陸軍大將は、軍人ではあるがデンマーク人なので、この頃『戦争を絶滅させること受合ひの法律案』といふものを起草して、これを各國に配布した。何處の國でもこの法律を採用してこれを勵行したら、何うしたつて戦争は起らないことを、牡丹餠判印で保證すると大將は力んでゐるから、どんな法律かと思へば、次ぎのやうな條文である。
  『戦争行爲の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の處置をとるべきこと。
  即ち左の各項に該當する者を最下級の兵卒として召集し、出來るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に實戦に從はしむべし。
   一、國家の××。但し△△たると大統領たるとを問はず。尤も男子たること。
   二、國家の××の男性の親族にして十六歳に達せる者。
   三、総理大臣、及び各國務大臣、并に次官。
   四、國民によつて選出されらたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反對の投票を爲したる者は之を除く。
   五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、其他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
   上記の有資格者は、戦争繼續中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齡、健康狀態等を斟酌すべからず。但し健康狀態に就ては召集後軍醫の檢査を受けしむべし。
   上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争繼續中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。』

 これは確かに名案だが、各國をして此の法律案を採用せしめるためには、も一つホルム大將に、『戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案』を起草して貰はねばならぬ。                                         ――如是閑――




# by bashomeeting | 2014-08-15 10:45 | Comments(0)
  梅雨空に「九条守れ」の女性デモ

 この句は公民館便りの俳句コーナーに掲載される予定だったが、公民館の判断で削除された、つまり不掲載という措置がとられたという。「新聞紙上でご存じと思いますが」と言って、戦後世代という意味では同世代のzumiさんが、こんなニュースを教えてくれた。

 新聞によると、話題の公民館はさいたま市三橋公民館(大宮区)で、削除した理由は「句の内容が公民館の考えであるかのように誤解されては困る」というもののようである。いまこの国を動揺させている集団的自衛権問題に過剰反応したのだろうが、公民館は市民の学習を奨励し、言論の自由を保障する場所だから、これは暴挙以外のなにものでもない。社会教育法に照らしても、この公民館の見識は悲しいほどに低く、結果としてきわめて大きな問題を露呈してしまった。案の定、この公民館の対応を憂慮する100人を超える集会がもたれたと聞く。それもまたきわめて自然で健全なことと言ってよい。

 そのことを認めた上で、俳句という器は、こうした「考え」を盛りつけるには不十分な詩型であることを確認しておきたい。これは俳句を指導する立場にある人が、常に心得ておかねばならない常識である。近代俳句史に新興俳句弾圧事件のような哀しみがあったことを忘れてはならない。この事件は言論の弾圧という問題以前に、作者も権力者も、俳句という器のなんたるかを知らなかったという、無知による悲劇である。

 俳句は、政治的な主張と読み取れる表現はむろんのこと、交通安全の標語にさえ向かない調べである。俳句は「考え」を述べるには不十分な詩型であること、ものごとを諦め、そぎ落とした上ではじめて輝く詩型であることを忘れないようにしたい。自己主張が目的なら、俳句よりもっと、モット、Mottoふさわしい方法があるではないか。芭蕉・蕪村・一茶なら、そのように言うであろう。俳句とは、「世俗」をぬけ出て「いのち」をよろこぶための器なのである。


# by bashomeeting | 2014-08-04 16:08 | Comments(2)
 目新しいことではないのだがと言って、hiroさんが「奥の細道旅立ちの地はどこか」という25年に及ぶ「千住論争」なるものの存在を教えてくれた。『おくのほそ道』で、舟で隅田川(墨田川)を出発した芭蕉は千住の北岸(足立区)に上ったか、それとも南岸(荒川区)に上ったかという問題のようだ。
 しかし、芭蕉の紀行で旅の事実を書こうとしたものはない。だからこれは『おくのほそ道』や芭蕉の問題である以前に、人文地理学の問題というべきである。今年は芭蕉生誕370年で、没後320年。各地で記念の文化的な企画が進められているが、こうした埒のあかないテーマで社会の関心を集めるのは不毛なことと言うべきだろう。

→そもそも、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余はみな俤似かよひて、その糟粕を改むる事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。その日は雨降り、昼より晴れて、そこに松あり、かしこに何といふ川流れたりなどいふこと、たれたれも言ふべく覚え侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずばいふことなかれ。されども、その所々の風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁ひも、且つは話の種となり、風雲の便りと思ひなして、忘れぬ所々後や先やと書き集め侍るぞ、なほ酔へる者の妄語にひとしく、いねる人の譫言するたぐひに見なして、人また亡聴せよ。(『笈の小文』紀行論)


# by bashomeeting | 2014-08-04 14:47 | Comments(0)
 七月十九日(土)の午後は俳文学会東京研究例会(於江東区芭蕉記念館)に出席して、ヤナギとツバメの句の輪講(不卜編『続の原』)で、「片沓の礼」という弓馬の故実(斎藤利綱著『家中竹馬記』)を教えられ、研究発表では『連歌八十体之書』という連歌式目書の成立について学んだ。
 会が終わって、大勢で懇親会に向かう途中に、マルケイ(江東区高橋14-21)という帽子屋があったので、ひとり群れを離れてふらりと立ち寄った。炎暑の季節を乗り越えるために、帽子を新調しなければならないと考えていたところに、ちょうど古風な小売店があるという幸運。店番の女主人とイタリアのボルサリーノの話をして、ボルサリーノを買うことに。もうすぐ夏休みである。

  夏の人空手来りて空手去る  高野素十

# by bashomeeting | 2014-07-21 08:27 | Comments(0)
――俳句は一読、鮮明に伝わる。たとえ意味が伝わらなくても、はっと感じる。俳句が最短の詩型であるのは、その瞬間の出会いの愉悦なのだ。

→たむらちせいは俳人。俳誌『蝶』(高知県佐川町)を主宰して、現在顧問。樝(シドミ)は草木瓜・地梨の別名で環境依存文字。

# by bashomeeting | 2014-07-21 07:01 | Comments(0)
 芭蕉さんの本業は俳諧です。今は俳句が主流の時代ですから、連句と言った方がわかりやすい。その連句とは当意即妙の知的な連想ゲームです。当意即妙は、その場にうまく適応したすばやい機転のことですネ。林家木久扇さんの代表的なギャクに「雨が漏りますね/や~ね~(屋根)」とか、「これは絵ですか?/えぇ(絵)」なんてのがありますが、これが対面する二人のやりとりなら当意即妙であって、木久扇さん一人でやるよりずっと高度でおもしろい。そして、その問いが「五七五」という韻律を持ち、もう一人の答えが「七七」という韻律を持っていると、その構造は芭蕉さんの本業である俳諧(の連歌)と同じなのです。

 都議会本会議のハラスメント発言で火がついて、民主主義の舞台がいかに乱暴で未熟なものかが露呈されていますが、最近の高知市議会ではこうした狼藉とは正反対の優雅なやりとりがあった、というと驚かれるでしょうか。四国は土佐に連句(芭蕉さんの本業)を愛する友人がいて、六月二十四日(火)の「高知新聞」を送ってくれました。そこに「よさこい談話室」というコラムがあって、この日は大山泰志記者の「連歌で返す初舞台」という文章でした。

 内容は、六月の高知市議会の最終日、四月に就任し、この議会がデビュー戦で、質疑応答を終えたばかりの谷智子という新教育委員長に感想を聞くべく、短歌が趣味の岡田泰司という議員が「水無月や言論の府よ答弁席」と五七五で問いかけたところ、新教育委員長は「ただ真っ直ぐに子ら思ひつつ」と七七で返答したというのです。教育委員長ですからね、ただ子ども達のことを思って答弁したヨ、と応じたのでしょう。これで治まると思いきや、岡田氏はふたたび「水無月や言論の府よ答弁席」と繰り返す。しかし新委員長はこれにも「どぎまぎするもお手柔らかに」と七七で答えて追撃をかわしたとあります。

 おもしろいでしょう、日本にはこんな文芸の歴史が古代から現代まで続いていまして、すなわち芭蕉の本業でありました。本日の私の話はこの芭蕉さんの本業を知らなければわからないものですから、話の枕に御紹介しました。ちなみに、大山記者さんには失礼ながら、コラムのタイトルの「連歌」は「俳諧」あるいは「連句」とするのが正しい。なぜなら、連歌は歌語(和歌に用いる言葉)を用いますが、「言論の府」「答弁席」などはそれに該当しません。芭蕉さんたちの文芸「俳諧」とか「連句」とあるべきではありました。

→これは、講演「芭蕉はなぜ旅に出たか」(群馬県立女子大学国語国文学会)の話の枕に用意したものである。しかし時間の関係で、講演後の懇親会の席上で披露。2014年 06月 30日の海紅山房日誌を参照。
# by bashomeeting | 2014-07-08 16:03 | Comments(3)
 文における意味上・発音上の最小単位を文節(Phrase)という。
 
白山連句で「
師の在せば」歌仙を捌いている希望さんが、この文節の問題を取り上げて、短句(下句)を「4音3音」にしないという約束があると書いている。ずいぶん以前に千年氏が同じことを言っていた気がする。
 さて、この慣例は何を根拠にしていたか。記憶の糸をたぐり寄せると、古いメモに次のようなものがあった。
『四道九品』『肖柏伝書』はいずれも連歌書。こんな学習をしたのはずいぶん昔で、『連句辞典』からの孫引きかもしれない。いまそれを確かめる余裕なく紹介することをおゆるしいただきたい。

二五三四はよきなり、五二四三は悪しきなり(宗牧『四道九品』)
→短句の十四音で「2+5+3+4」の組み合わせは心地よく聞こえるが、「5+2+4+3」はよくないという意か。

山の遠きや「まづ+暮れぬらん」
 ことのほか句柄切れ切れにて聞きにくきや。
山の遠きや「夕べ+なるらん」
  のびのびとしてしかるべく候(『肖柏伝書』)
前者は「2+5」、後者は「3+4」の例。
# by bashomeeting | 2014-07-08 09:35 | Comments(0)

Fish-eye◆ 中興俳論集へ

 菅原さんは『二十五条』の「○恋の句の事」が芭蕉晩年の付合と矛盾しないことを確かめて、次はどこへ向かうのだろうか。関心の発端は中興俳諧にあるようだから、古典俳文学大系14『中興俳論俳文集』(集英社) などによって「恋」の扱いを吟味して、ボクを刺激してくれることを期待しようと思う。
# by bashomeeting | 2014-07-07 12:10 | Comments(0)
○恋の句の事
 恋の句の事は古式を用ひず。其故は嫁・むすめ抔、野郎・傾城の文字、名目にて恋といはず、只当句の心に恋あらば、文字にかゝはらず恋を附くべし。此故に他門より、恋を一句にて捨るといへるよし、恋は風雅の花実なれば、二句より五句に到る、といへ共、先は陰陽の道理を定たるなり。是は我家の発明にして、他門にむかひて穿鑿すべからず。

 これは『二十五条』の恋の記事の全文。試みに咀嚼して、現代語訳を施してみると次のようである。

 →蕉門では、恋の句は「恋の詞を用いる」という古式を採用しない。つまり文字や名称で恋かどうかを判断しないのだ。では何によるか。前句に恋慕の心があるかどうかによる。その心が読み取れれば、恋の詞の有無に関わりなく恋の句を続ける。こういうことをするものだから、他門では「蕉門は恋を一句で捨てるようだが、恋は風雅の花実(表現と心情の両面で大切に扱ってきたもの)なので、二句から五句続けるのが正しい作法」と言い返すが、「恋は風雅の花実」とか「二句より五句に到る」という教えも、基本的に恋(陰陽)のあるべき筋道を定めたものである(恋慕の情がある場合に限った話である)。(但し)この(恋の句はその情の有無で判断し、一句で終わってもかまわないという)教えは蕉門の新しい考え方であるから、他門に対してとやかく言い立ててはいけない。

 こうした拙訳の蓋然性を計るために、試みに「むめがかに」歌仙(『炭俵』)に取材して、恋の句の様子を探ると次の三例になる。
【例1】
6藪越はなすあきのさびしさ    野坡
7御頭へ菊もらはるゝめいわくさ  野坡
8娘を堅う人にあはせぬ      芭蕉
9奈良がよひおなじつらなる細基手 野坡

【例2】
25門しめてだまつてねたる面白さ  芭蕉
26ひらふた金で表がへする     野坡
27はつ午に女房のおやこ振舞て   芭蕉
28又このはるも済ぬ牢人      野坡

【例3】
34未進の高のはてぬ算用      芭蕉
35隣へも知らせず嫁をつれて来て  野坡
36屏風の陰にみゆるくはし盆    芭蕉

 まず古式とされる「恋の詞」の視点で言えば、8の「娘」、27「女房」、35「嫁」がそれに該当。この三例のうち、次句で恋を展開させる例は36(挙句)だけ。しかし、それは露骨な恋でなく、句意(前句と結んだ二句)によっていて、(挙句だから当然であるが)展開というより恋の場面を収束するものになっている。また、句意を吟味すると、8「前句の哀惜を箱入り娘の上に移した恋の始まり」、35「前句の貧乏を長屋の独身男の上に移した内々の婚礼」の二例には恋心が顕著だが、27「初午の祭礼(稲荷社)に女房の親戚を招いて振る舞う」趣向は、前句の「拾ったお金」に負っていて、強引に恋の情を読むべきでないことがわかる。とすれば、先掲『二十五条』の拙訳もまずまず及第点か。


# by bashomeeting | 2014-07-07 11:52 | Comments(1)
 菅原麻衣さんの「『二十五条』考」という発表は人事の花とも言うべき「恋の句論」であった(東洋大学日本文学文化学会2014年度大会)。芭蕉晩年の弟子支考系に流布した『二十五条』は蕉門の実用書の最たるもの。本書を偽書とする従来の評価は芭蕉研究の視座から俳諧史を見下す態度(Eyes look down)である。山脈の頂点をつまんだ芭蕉・蕪村・一茶の研究は、こうした実用書をつきあわせて見えてくる俳諧史との相対化ができて、はじめて立ち上がるものであろう。連歌俳諧史から芭蕉・蕪村・一茶を差し引いて残るものを考えるのは、そのまま芭蕉・蕪村・一茶研究に他ならないのだ。ガンバレ、マイサン!
# by bashomeeting | 2014-07-07 09:31 | Comments(0)
 蕪村の弟子几董の著に『附合てびき蔓』(天明6成立)という俳諧作法書がある。同門の初心者に向けた付合(連句)の案内書、つまり実用書である。ただし当然のことながら、本書に立項されるテーマのすべては、連歌から俳諧(貞門・談林・蕉風)の歴史を踏まえて、蕪村らに届けられた伝統的な詩論である。よって、俳諧史における『附合てびき蔓』の意義を説くためには芭蕉・宗因・貞徳とさかのぼり、連歌の世界を渉猟する必要がある。遠大なる課題だが、志とはそもそもそのようなもので、芯の強い者に課された仕事である。強くない者はズルクなるばかりで、よい仕事はできない。ボクはその部類であろう。


# by bashomeeting | 2014-07-07 07:34 | Comments(0)
 ツバメの子が遊びに来ている。巣立ちは六月三十日(月)だから、二日ぶりの帰巣である。昨日の講義で、今年のホトトギスは終わったと話したが、今朝鳴きわたる声を聞いた。老鴬の声もまじって、心地よい朝である。

# by bashomeeting | 2014-07-02 08:39 | Comments(0)
 六月二十九日(日)は群馬県立女子大学の国語国文学会に招かれて講演をした。話の後半に至って、聴講者のなかに伊勢崎のharuさんがまじっていることに気づく。一般にも公開すると聞いてはいたが驚いた。講演後も予定が入っていたので、終了後に少し立ち話をして別れた。
 ボクの話は「なぜ芭蕉は旅に出たのか」というもの。従来説にある精神的な理由にはふれず、職業俳諧師という実務をめぐる話をした。つまり、点業という俳壇の仕組みは、安定的な収入を得ることに向いてはいても、すぐれた作品を仕上げるには適さない。それは連衆と直接座を囲む当意即妙の追求からしか生まれないからだ。
 それで会席に直に集う人々への直接指導へと乗り出した。それが旅立つ大きな理由のひとつ。点業という仕組みが定着している都会で、気兼ねなく直接指導を行なうのは、ギルドやヒエラルヒーの観点からむずかしかったにちがいない。
 深川隠棲という受け身の暮らしを否定し、晩年の十年間を旅に費した理由はそれなのだと結論づけた。なお、論旨の展開に不可欠と考えて、芭蕉の漂泊は「立ち帰る旅」から「行き交ふ旅」へと大きく変化するという話を添えた。
 芭蕉の本業とはなにか、連句とはどのような文芸か、そんなことがわからなければつまらなかったであろうに、最後まで熱心にきいてもらったことに感謝している。散会後に、誘われて有志と教員による懇親の会席にも加えてもらい、心地よく帰途についた。
 この地には何度か訪れているが、いつ来ても人心地のつく町である。教員、学生を問わず、ゆったりとした気風が残っていて、まことに懐かしいものがある。
 

# by bashomeeting | 2014-06-30 12:51 | Comments(1)
 今年は芭蕉生誕370年で、同時に没後320年ということもあり、各地に顕彰の行事が展開されている。江東区と俳文学会東京研究例会が共同で企画した公開講座「芭蕉生誕370年」(6月21日、於深川江戸資料館)もそのひとつで、塚越義幸さんとボクでその講師を務めた。
 ボクの演題は「求道の終着地―長明・兼好・芭蕉―」。話の要点は、芭蕉の出家は結局かなわなかったが、仏道にしたがい煩悩を断ち、悟りを得ようとした時期があったことは疑えない(『幻住庵記』その他)。そこで、まさしく出家を果たした長明の『方丈記』と兼好の『徒然草』の全体を視野に入れつつ、この二人と異なる芭蕉の求道の終着地を求めようというもの。すなわち、芭蕉の終着地は、仏道に敬意を払いつつも、帰依して浄土へ導いてもらおうとしない、現世(幻の世、仮の世)を承認する(受け入れる、聞き入れる)精神性にあるとした。

 朝露によごれて涼し瓜の土   芭蕉(元禄7・続猿蓑)

# by bashomeeting | 2014-06-30 10:36 | Comments(0)

 六月十四日(土)は久しぶりに与野本町界隈を楽しんだ。副都心化を誇るさいたま市で、与野はオアシスのような空間である。中山道でおいしいお蕎麦をいただき、円乗院(真言宗)を一見し、与野公園からばら園を散策して、句会場は西与野コミニティーホール1F会議室(市立図書館西分館)であった。

 企画の一切はK女史とKASYO氏に負うところが大で、緑蔭に身をまかせ、夏木立が影をおとす池の鯉になごみ、残るバラ、残るつぼみをめぐって、ありがたい一日を過ごした。 この町は公民館講座で数年お邪魔して以後、忘れられなくなったところ。K女史はボクをその講座に引っ張り出した知恵者で、KASYO氏はその受講者のお一人で俳人でもある。夕食に案内された南風というカフェギャラリーは蔵造りで、沖縄料理を堪能できる憩いの空間であった。通りすがりの旅人にも優しいその心配りは、K女史とKASYO氏の御苦労があってのことと感謝して帰途についた。

 

                  海紅 

薔薇残る薔薇のつぼみもまだ残る
バラの香や与野本町は空広し
腰伸ばす一人イケメン薔薇手入れ

 

# by bashomeeting | 2014-06-28 16:33 | Comments(0)
 『葛』(平26・7)で長逝を知りました。御長女が書き留める「ふるさと 粟島に帰りたかった」というあなたの嘆きに涙します。何度その言葉を聞かされたことでしょう。御一緒できた句会の数々に感謝し、武蔵野の一隅より御冥福をお祈りします。

  小さき肩抱いて遠くの桜見せ  村中美根子(『葛』平26・7)

# by bashomeeting | 2014-06-28 11:02 | Comments(0)
1,芭蕉が主君良忠没後に高野山に納骨に行ったという古伝は、いまだ証明する手立てがないので既成事実化してはならない。
2,「和歌」と前書する「行春にわかの浦にて追付たり」(笈の小文)に異形句はなし。あるとすればすべて誤伝である。

# by bashomeeting | 2014-06-01 15:48 | Comments(0)
阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍(芭蕉・江戸蛇之酢・延宝7)
馬ぼくぼく我をゑにみる夏野哉(芭蕉・水の友・天和3)
道のべの木槿は馬にくはれけり(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
馬に寢て残夢月遠し茶のけふり(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
馬をさへながむる雪の朝哉(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
野を横に馬引きむけよほゝとぎす(芭蕉・猿蓑・元禄2)
蚤虱馬の尿する枕もと(芭蕉・奥の細道・元禄2)
馬かたはしらじしぐれの大井川(芭蕉・泊船集・元禄4)
柴付けし馬のもどりや田植樽(芭蕉・全伝・元禄7)

馬下りて高根のさくら見付たり(蕪村・夜半叟→遺稿・安永6後か)
紅梅の落花燃らむ馬の糞(蕪村・几董初懐紙・天明3)
馬の名も木の下影やちる桜(蕪村・落日庵・未詳)
癖のある馬おもしろし春の暮(蕪村・こまつか集・未詳)
脊のひくき馬に騎る日の霞かな(蕪村・落日庵・未詳)
道べたの御公家は馬にのられけり(蕪村・狐の茶袋・未詳)
馬の尾にいばらのかゝる枯野哉(蕪村・句集・未詳)
寒ごりに尻背けたるつなぎ馬(蕪村・稿本・未詳)
繋馬雪一双の鐙かな(蕪村・落日庵→遺稿・明和8前か)
凩やひたとつまづくもどり馬(蕪村・落日庵→句集・明和8前か)
雪白し加茂の氏人馬でうて(蕪村・句集・未詳)


# by bashomeeting | 2014-06-01 15:11 | Comments(0)
パンで消す自画像の口春の月
カルピスを助手席におき夏休み
蜩や使つて太る広辞苑
あんぱんのへそずれてゐる十二月

▶▶尾野秋奈句集『春夏秋冬』平成26年5月刊、ふらんす堂。著者は札幌生まれ。俳誌『童子』を経て、「船団の会」所属。「大(ひろ)」編集長。現代俳句協会会員。坪内稔典が跋と帯に筆をとる。
# by bashomeeting | 2014-05-27 17:51 | Comments(0)
 「お父さん」と呼ぶ人が三人いる。実の父親と夫の父親と夫、である。実の父親のエピソードは、故人となっていることもあり、私にとっては特別であるが、他人にとってはそうとも思えないので口をつぐむ。夫の父親はつまり義理の父であり、義理をかたるのはむつかしい。残るのは夫のみである。少々反則気味であるが勘弁してもらいたい。
 夫のことを「おとうさん」と呼ぶと、非難する友人がどこに行っても一人はいる。(中略)友人の非難には「子どものことばっかりで、自分というものがない」という意味が込められているが、「自分というものがない」なんて、身軽で素敵なことではないか。(以下略)  ―二村典子「父」より―

▶▶船団の会編『俳句の動物たち』2014.5刊、人文書院。「会員のエッセーによる、あたらしい読む歳時記」(帯)。イヌ・イタチ・イノシシ・ウサギなどに始まり、虫や鳥に続いて人間という一章を設けているところがおもしろい。

# by bashomeeting | 2014-05-24 16:40 | Comments(0)
明治という時代を膚で実感できる世代はすでにいなくなった。(序)
秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でゝ吹く 啄木(序) 
江戸幕府を倒し、明治新政府を樹立する中心となった勢力は、言うまでもなく薩摩・長州であった。必然的に新政府においても、薩摩・長州出身の者たちが、枢要の位置を占めるようになったが、短歌の世界においてもその傾向は認められた。(薩長の歌人たち)

▶▶山田吉郎著『明治短歌の河畔にて』2014.5刊、短歌研究社。近代俳句史を考える手掛かりとして「Ⅰ 旧派和歌と近代の足音」「Ⅵ 明治の終焉と近代短歌」から、謹んで読み始める。
# by bashomeeting | 2014-05-24 16:18 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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