海紅山房日誌

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  五月十二日の夜から翌朝にかけて雨。人の暮らしにとって、恵みの雨といえるほどではなかったが、ツバメの巣の修復には慈雨であった。雨を含んで黒々とした土が運ばれ、半日たらずで完全に復元。まもなく二度目の産卵期に入るのだろう。

  別れずに麦刈つてゐし夫婦かな  渡部余令子
# by bashomeeting | 2014-05-14 14:00 | Comments(0)
 五月五日。今日は立夏で端午。
 昨夜は深く眠って、明け方五時過ぎに、伊豆大島近海を震源とする地震で目を覚ました。外に出ると、ツバメの巣がこわれて、卵がいくつか地面につぶれている。地震のせいではなく、三度目のカラス襲来か、はたまたノラ猫のハイジャンプの仕業であろう。二度目のカラスから巣を守り切ったボクは、その後も油断なく、蛇に擬したホースを垂らすほかに、簾までぶら下げて外敵からツバメの巣を守っていたつもりであった。しかし、その集団的自衛権も、ツバメカップルによる集団的攻撃権も役に立たなかった。力学とは厳粛なものである。

  燕は巣作り校長忙しき  鷺 孝童



# by bashomeeting | 2014-05-06 10:25 | Comments(0)
 五月四日。今日で春は終わり。
 連休なので、人並みに一日くらい仕事を放り出して郊外に出かけ、空いている安宿でもあれば、ふらと泊まってもよいと考えた。在来線で高崎・前橋あたりをうろうろして、観光案内所の世話になったが、この時期の宿にアキなどあるはずもない。月齢六日の春月をながめながら、同じ在来線で帰宅した。

  けふのみの春をあるいて仕舞ひけり  蕪村
 

# by bashomeeting | 2014-05-05 16:27 | Comments(0)
問い 次のⅠⅡの違いについて説明せよ。
Ⅰ 集団的自衛権(Right to defense two or more countries in cooperation)
Ⅱ 集団的攻撃権(Right to attack two or more countries in cooperation)


# by bashomeeting | 2014-05-04 10:27 | Comments(0)

One day the big bad wolf came and knocked on the first little pig's door and said "Little pig, little pig, let me come in." And the little pig answered "No, no, I won't let you come in, not by the hair on my chinny chin chin." "Well," said the wolf, "then I'll huff and I'll puff and I'll blow your house in." So he huffed and he puffed and he blew the house down and ate the little pig.(The True Story of the Three Little Pigs)


▶▶▶子どものころ読んだ本に『ジャックと豆の木』というのがあった。少年ジャックが母の言いつけで、市場に牝牛を売りにゆくのだが、途中で会った男の話に乗せられて豆と交換し、母親からひどく叱られる話。しかし、怒りのあまり母が庭に捨てた豆は次の朝には巨木に成長。ジャックはその豆の木を登って、雲の上の人食い男の住む城へ。人間の匂いをかぎつけた人食いをだまし、その妻はジャックを逃がそうとする。そして人食いが寝入ったすきに、ジャックは金の卵を産む鶏を盗んで、地上の家に戻る。味をしめたジャックはふたたび豆の木を登っては金銀を奪い、 ハープを盗もうとするが、なぜかハープが喋り出して人食いは目を覚ます。しかし、どうにか逃走に成功して、地上に着いたジャックは豆の木を斧で切り倒し、追いかけてきた人食いは地上に落ちて死ぬ。こうしてジャックと母親は裕福になるという話だが、話の発端になった牛は、その後どうなったのであったか。


 Globalizationの波が押し寄せて、いま環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉をめぐるニュースがマスコミを賑わせているが、豚肉や牛肉の関税を○○%に引き下げる、1キロあたり○○円程度で詰めの作業を急ぐなどという、人間同士だけの話を聞かされ続けると、ついつい牛や豚はそんな人間をどう見ているのかと考えてしまう。


  筍の竹になるより外はなし  刈谷次郎丸


  


# by bashomeeting | 2014-05-04 09:01 | Comments(0)
……肩書を私から求めたことは一度も無い、望まれれば、どの仕事も熱心に務めただけ。
今生の終焉ももう遠くない。今しも創刊しようという「秦恒平選集」は「一期一巻」のいわば「紙の墓=紙婢」になるだろう。(『秦恒平選集』第一巻「秦恒平選集 創刊に際して」より)

▶▶▶本書は平成二十六年(2014)四月十五日発行。著者秦恒平。発行者秦建日子。発行所湖の本版元。「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」の三篇を収む。一五〇部限定(私家版・非売品)。御恵与に感謝しつつ、関心ある朋友にむけて紹介の筆をとった。

  わが影に畦を塗りつけ塗りつけて  素十

# by bashomeeting | 2014-05-03 10:08 | Comments(0)
   自 嘲     魯迅
運は華蓋に交り何をか求めんとす
未だ敢へて身を翻さざるにすでに頭を碰つ
破帽に顏を遮して鬧市を過ぎり
漏船に酒を載せて中流に泛ぶ
眉を横たへて冷ややかに対す千夫の指
首を俯れて甘んじて孺子の牛と為る
小楼に躱れ進みて一統を成し
その冬夏と春秋とに管はん

▶▶▶「華蓋」はカガイで天蓋。「碰つ」はアツで打つに同じか。「鬧市」はドウシで繁華な街。「千夫の指」は大衆の声か。「孺子」は子ども、未熟者。「躱れ」はノガレか。「管はん」はカマワンで関わろう、満足しようなどの意か。吉野源三郎『職業としての編集者』(岩波新書)参照。

  麦飯を蔑みし過去麦の秋  海 紅


# by bashomeeting | 2014-04-27 12:54 | Comments(0)
 春なり。巣も同じ。巣を去るは秋なり。帰るも秋なり。○つばくらめといふはきらふ詞なりと云々(産衣・元禄11)

▶▶▶今年のツバメは三月末にやってきた。傷んだ古巣に黒い土を運んで、修復を終えたのは四月十日過ぎであったか。その後カラスが二度襲来。めげずに巣を整え直して、このごろは毎晩帰巣する。おそらく卵を抱いているのだ。日中のそれとは異なり、真夜の寝覚め声のひそやかで愛らしいこと。彼らにも眠れぬ夜があるにちがいない。

# by bashomeeting | 2014-04-27 04:31 | Comments(0)
我のみの柴折りくべるそば湯かな 蕪村(句集)
江戸店や初蕎麦がきに袴客 一茶(八番日記)

▶▶▶十二日(土)の白山句会は、Kさん、Mさんのお世話で深大寺と神代植物園を歩いた。終わって蕎麦屋「門前」(深大寺元町)で会食。芭蕉会議編集長の所望で、予定外の蕎麦掻きがふるまわれた。飲みものである蕎麦湯にくらべて、食べものの蕎麦掻きは贅沢なもの。そんな違いを理解するために蕪村と一茶の句をあげてみた。蕪村句には彼の好んだ閑居の味が出ており、一茶句には大都会で目撃したであろう晴れがましい人事がよく表現されているように思う。なお、ボクらの蕎麦湯はお店のすすめで焼酎を割って楽しんだ。蕎麦湯・蕎麦掻きともに冬季の横題(俳諧題)。

  髪白くなるまで生きて桜狩
  くちびるの厚き御影や春灯
# by bashomeeting | 2014-04-13 17:36 | Comments(0)
夫伊豆の御宮ハかけまくもかしこき天照太神第一の皇子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊にして日本第二の宗廟と崇め関東の惣鎮守なり往古より武門誓詞の證明海運擁護霊神と稱し奉る

▶▶▶これは文化十一年(一八一四)に般若院別当周道なる人物が編んだ『〈正一位勲二等關東惣鎮守〉伊豆国伊豆御宮伊豆大権現略縁起』の冒頭(〈 〉内は二行割り。ルビは省略)。恥ずかしながら、伊豆山神社が『日本書紀』にいう天照大神から生じた第一神「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」を祭神とすることを初めて学んだ。「マサヤアカツカツハヤビアメノオシホミミノミコト」(同書ルビ)と読む。大学院ゼミ一泊研修(2/24,2/25)で伊豆山神社参詣の産物。根拠のない話という連想でこんな旅を思い出した。
# by bashomeeting | 2014-03-11 10:24 | Comments(0)
 二月の二度の雪は、春雪(牡丹雪・淡雪・斑雪・なごり雪)の本意をくつがえすものだった。屋根からの落雪で、門前の松のしっかりした枝が数本折れて傷ましい景色であるが、今朝見上げると、透明の松ヤニが傷口をたっぷりと覆って頼もしい。下らない微熱と、あがらない気力で過ぎたボクの一ヶ月もそろそろ仕舞いにして、滞っている仕事を少しでも回収したいと思う。

 今日はあの地震と津波、そして原子力発電神話の崩壊からちょうど三年目になる。ここにいう神話とは、根拠がないのに信じようと努力してきた話という意味である。
 本意と根拠と、どこか似ていなくもない。

  向ふより見れば霞める我ならん   安田蚊杖
# by bashomeeting | 2014-03-11 07:54 | Comments(0)
無花果会の初句会は例年神楽坂の志満金のお世話になる。入り口にある大田蜀山人(南畝)先生の額を必ず拜んで座敷へ。「飲酒法令」「酒ハのむべし さけハのむべからず」と題する南畝先生の一つ書き、すなわち五箇条は以下の通り。

一 節供祝儀にハのむ
一 さかなあれハのむ
一 珍客あらハのむ
一 雪月花の興あれハのむ
一 二日酔の醒を解にはひとりのむ

ボクラの場合はさしずめ「雪月花の興」である。高分子工学博士で今年九十三歳を迎えるN先生のお申し出に甘えて、披講をお願いする。御長寿にあやかるよい会であった。

                        海 紅
冬菜ありその屑もあり懐かしき    
大好きな冬菜を漬けん年老いん
一畝に並べて葱と小松菜と
千両の赤に気づきて雀二羽
寒菊の寄り掛かりゐる庭箒
復旧の炉にまだ誰も居らざりし
# by bashomeeting | 2014-01-23 12:15 | Comments(0)
正月は年賀で勉強仲間数人の来訪がある。その一人が「こんなモノが手に入りました」と言って、「秘伝豆酩(ひでんとうべい)」をくれた。ビールから清酒へと切り替えてみんなで酒肴にする。各人絶賛。各人酩酊。いわゆる豆腐の味噌漬けの一種で、「(有)豆匠 嶋津」(熊本県上益群山都町)の傑作であった。

  膝立てて天を祓ひぬ弓始    斎藤 萩女
  膝引きて大地祓ひぬ弓始     同
# by bashomeeting | 2014-01-23 11:33 | Comments(0)
  平成二十六年 歳旦
妻の目の高さに掛くる初暦     海 紅
# by bashomeeting | 2014-01-01 00:58 | Comments(0)
 振りかえるべき事柄をいくつも残しながら、平成二十五年(2013)が終わろうとしています。今となってはいたしかたなく、残された事柄は新しい年の課題にして、除夜の鐘を待つことにいたします。年明けには、芭蕉会議にあたらしく加わられた方々に挨拶のe-mailを差し上げ、句会や研究会へのお誘いをしたいと思います。

 今年の芭蕉会議の集いは一泊の年忘れ句会として、五浦・平潟を吟行しました。十二月十四、十五の二日間で、復旧なった岡倉天心ゆかりの地と、これまた津波被害から立ち直った野口雨情のふるさとを訪ねました。たくさんの冬波をみました。震災や原発の記憶と戦っていたり、避けがたい恙と向き合っている友だちとも再会し、共に大切な時間を過ごすことができました。この企画を進めてくれた人々や、参加してくれた仲間に厚く御礼申し上げます。

     歳晩
鴉来て冬田まことにそれらしく
大観も観山も来よ炉辺淋し
除夜の鐘聞きに戻れる我が子かな
何事もなかりしごとく年の行く
# by bashomeeting | 2013-12-31 12:00 | Comments(2)
Youth is not a time of life,it is a state of mind.

▶▶▶海紅句抄「焚火の輪くづれて峡の旅終る」より抄出。
# by bashomeeting | 2013-12-25 10:12 | Comments(0)
『at home』のエッセイを書く都合で「長閑(のどか)」「長閑(のど)けし」を春季とする根拠を知りたくなった。『万葉集』から始めて『古今集』へと進んで、有名な二首「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(業平・古今集・春上)、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(友則・古今集・春下)まで来て、たぶんこの二首あたりを証歌として春の言葉に定まったのではないかと考えた。

だが、念のために『図説大歳時記 春』(角川書店、27頁)を見ると〈「のどか」「のどけし」ともに『万葉集』『古今集』には用いられていない〉とある。これは尾形仂先生の執筆である。あの大学者にして、このような見落としがあるのはなぜか。念のため山本健吉の『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫、14頁)をみる。怠惰なボクにはめすらしい。すると「のど」は「和」で、なだらかの「なだ」に通じ、「のどには死なじ」(『宣命』)とあって「無事」の意味もあるという語源論に重きが置かれ、季の定まった時期についてはふれていなかった。『古今集』の業平・友則歌を春季の根拠にしてはまずいだろうか。まだボクに勉強の余地があるのだろうか。

そこで、とりあえずボクの目に入った『古今集』以外の用例、のちのために。

風はいととく吹けども、日のどかに、曇りなき空の(源氏物語・常夏)
程へてみづからのどかなる夜おはしたり(源氏物語・若紫)
うしろやすくのどけきだに強くば、うはべの情は、おのづからもてつけつべきわざをや(源氏物語・帚木)
君はいとのどかにて(堤中納言物語)
浮き沈み淵瀬に騒ぐ鳰鳥はそこものどかにあらじと思ふ(敦慶親王・後撰集・恋六)
帰るさをいそがぬ程の道ならばのどかに峰の花は見てまし(忠通・千載集・春上)
などてかく雲隠れけむかくばかりのどかにすめる月もあるよに(命婦乳母・後拾遺集・哀傷)
人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし(徒然草・一七〇)
# by bashomeeting | 2013-12-22 11:04 | Comments(0)
    十一月二十九日          海 紅
そのことを知らず過ぐせる案山子かな
先生のゐなくなりたる冬日かな
みんなそこにゐるのでせうか冬銀河
# by bashomeeting | 2013-11-30 04:48 | Comments(0)

再掲◆軍隊について

2008年 08月 14日に「忘れ得ぬことば◆軍隊」と題して、次のような一文を紹介した。そしていま、東日本大震災とそれに伴う福島原発事故以後の身辺を悲しみつつ、にわかに再読してみたくなった。

軍隊は、いくさをする人の集団である。いくさとは、軍隊と軍隊とがたたかうこととされている。したがって軍隊以外の市民・国民をいくさの対象とすることは、軍隊の本来のありかたではないことを自覚した軍隊であって欲しい。
右のことを原則にして、まず、日本の軍隊は国内治安のために出動することを禁じられた軍隊であって欲しい。
つぎに、非戦闘員への加害と次代への後遺症を防ぐために、核兵器・化学兵器を一切装備しない軍隊であって欲しい。そして、このことを世界にむけて言明できる政府の政策を望んでやまない。
                                        ―本田徹夫― 
                          ―『思想の科学』(思想の科学社、昭和57・7)―

The armed forces are fighting groups. War is that the armed forces fight against the armed forces. Therefore it is a mistake to call a fight of the civic participation war. Therefore, the Japanese armed forces must not be dispatched for the domestic peace and order.And do not be equipped with a nuclear weapon and chemical munitions to avoid the civic damage and future aftereffects. I hope in the Japanese Government to declare this for the world.            - Tetsuo Honda -


【五年を経て思うこと】
Like a sickle and the hoe of the farmer, can you have a weapon without murdering innocent people to live?

  落葉舞ふ奚琴(ヘグム)いよいよ終章へ  海紅
# by bashomeeting | 2013-11-25 20:53 | Comments(0)

卑しき心

 いくら時代が変わっても、資金さえあれば本を作って良いというものではあるまい。少くとも、そういう民主主義からは芭蕉の心は理解できないのである。これは、ひと様にむかって言うのではない。わたしには、自分自身のことが一番大切である。本を作るのに、それが「卑しき心」から出た仕わざではないかという恥じらいを、もし失ってしまったなら、わたしも一巻の終りである。     ―玉城徹『芭蕉の狂』角川選書―
# by bashomeeting | 2013-11-17 20:43 | Comments(0)
   芭蕉は一巻の書も著したことはない。
 芥川の『雑記』の冒頭の一文は、これである。それにつけ思い出されるのは、わたしが大学で直接指導を受けた児島喜久雄先生が、つねづね「本など出すものではない」とわたしたちを戒められたことであった。そんなことはやくざ(谷地注:原文「やくざ」に傍点)な事だという感じでおっしゃったように憶えている。児島先生の親友の河野与一先生もまた本を出さない方(かた)であった。「美学及美術史科」の研究室を創設された大塚保治 ― 歌人、大塚楠緒子の夫君 ― が、また、生前一冊の著書もなかった。だから、これはわたしたちの受け継ぐべき伝統なのであった。しかし、わたしは、その教えを守らずに、つまらぬ本を数冊、出版してしまった。         ―玉城徹『芭蕉の狂』角川選書―
# by bashomeeting | 2013-11-17 20:35 | Comments(0)
 遺稿は出(いだ)さずもあらなん。いにしへより作者のきこえあるもの、遺稿出て還(却)て、生前の声誉を減ずるものすくなからず。       ―蕪村「芦陰句選序」―
# by bashomeeting | 2013-11-17 20:33 | Comments(0)

Are you a necrophilia ?

 芭蕉の句の一つ一つについて、その辞句の出典を探って、そこに新しい解釈を見出だすなどという仕事は私には出来ない。あのやり方を見ていると、妙に屍体愛好(ネクロフイリア)の匂(にお)いがする。そして、芭蕉の句までが干からびて見えてくるのである。   ― 玉城徹『芭蕉の狂』角川選書 ―
# by bashomeeting | 2013-11-12 06:54 | Comments(0)
Basho is a seeker after truth. In contrast, Buson is a child of the solitaire.
# by bashomeeting | 2013-11-12 05:51 | Comments(0)
いかなる形をまことの仏、いづれの姿を至極の歌、連歌と定め侍らむ心は愚かなるべくや。まことの仏、まことの歌とて、定まれる姿あるべからず。(略)たゞ一つ所にとゞこほらぬ作者のみ正見(しやうけん)なるべしとなり。
                                   ― 心敬『ささめごと』より ―

▶▶▶「正見」とは正しい知見という意。芭蕉の「此道」はとどまることのない心の道であったろう。その「道」に俳諧という言葉を代入してもよいし、それを仏道と名づけても誤らない。修行者に終着駅はないのである。元禄七年(一六九四)十月十二日申の刻(午後四時ころ)、芭蕉は大坂に没。今年は十一月十八日(月)がその忌日にあたる。
# by bashomeeting | 2013-11-12 05:34 | Comments(0)
 小瓶に入った宗田節をもらった。ソウダガツオ(宗田鰹)が形のままに入っていて、それに醤油をさして、冷蔵庫で二週間寝かせる。そうするとおいしい出汁醤油になるそうだ。
 宗田鰹は騒多鰹とも書くそうだ。ある事典によれば、鰹の仲間であるソウダガツオは血の気が多く、水面に群れて騒がしいので騒多の名があるという。説得力には欠けるものの、もしそうだとすれば、宗田はさらにその後の宛字か。本鰹より濃厚な味だが、足が速く、保存きかないので、節になるそうだ。
 一名にメジカ。これはたぶん目が口に近いところから付けられたにちがいない。それを略してメジなのだ。卵かけ御飯まで二週間待たねばならないというじれったさも悪くない。

  漁のなき冬は用なき島男   田中緑風子
# by bashomeeting | 2013-11-11 11:08 | Comments(0)

合わせる顔

十月にサッポロで母校の高等学校同窓会があった。しかし彼はこの度も欠席であった。表向きは仕事が理由のようだが、融通して休暇をとれない年齢ではないだろう。サッポロは高卒後の三年間を過ごした町で、懐かしいこと限りないと言いつつ、同窓会にはどうしても出席できないらしい。北海道の友人から電話があって、元気なのか、なぜ来ないなどと問われ、出席者の名を並べられて自問自答。その結論は「合わせる顔がない」であった。「誰に合わせる顔がないの」と尋ねると、「自分の高校時代にさ・・・」とつぶやいた。

  冬来たりなば出稼ぎに行くといふ   前原貞樹
# by bashomeeting | 2013-11-05 05:53 | Comments(0)
はじめての連句満尾を謹んでお祝い申し上げます。率直に申し上げて、満尾を予想していませんでした。それが成し遂げられた理由は連衆諸兄姉御指摘の通りで、篤実な大久保風子捌きにあります。

連句は七割がた捌き手のものであり、連衆のものではありません。連衆の愉しみは捌き手の指導で己が精神を活性化してもらう点にあります。捌き手の捌きに導かれて、ワタシハ、ワタシハという十九世紀的な小我を洗い落とす点にあります。

それが出来た最大の理由は、平生の自分の俳句をけっしてすぐれたものとは思っていない謙虚さと、連衆各自が蓄積してきた知性にあると思います。その連衆の一人として、風雅に遊ばせていただきましたことに、心底より感謝いたします。

▶▶▶無花果句会は昭和二十一年(一九四六)、作家青木(井本)健作(井本兀山人)が〈終戦直後の一般的な虚脱と混濁のさ中にあって、せめては清純な清水に渇を癒やしたい〉(『無花果』3号、あとがき)と願ってはじめた。歴代庵主は初代井本健作(兀山人)・二代井本農一(茫亭)・三代高藤武馬(馬山人)・四代青木幹生・五代井本商三(田痴)で、平成十九年(二〇〇七)より谷地快一(海紅)が六代目を仰せつかっている。このたび「万緑や恐竜眠る地球館 思案人」を立句としてはじめての「万緑や」歌仙満尾(作品の掲載は別の機会に譲る)。高藤武馬・井本農一、そして青木幹生などと俳諧との関わりを思えば、無花果句会が連句をたしなむのは必然の展開であると思う。
# by bashomeeting | 2013-11-04 19:07 | Comments(0)
自分の領土を主張するなら、その前提として、誰のものでもない大地の存在を認めた方がよい。いつかそこへ返還する日のために。

  若い者一人も居らず冬に入る   佐藤南瓜
# by bashomeeting | 2013-11-02 11:45 | Comments(0)

knowledge◆御用詩人

国家権力が御用詩人を必要とするのは、今昔、そして洋の東西を問わず、常識の事柄なのだという。万葉集も勅撰和歌集も、そのような作物として見なければ、イデオロギーの餌食にされる危険性があることを承知しておけという。

  稲を積むたんびに馬の眼をひらく   佐々木北斗
# by bashomeeting | 2013-10-13 12:36 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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