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なぜ俳句を詠むのかⅩ◆『芭蕉会議の十年』序(転載)

   序                           谷 地 快 一

    ――わかった。応援してるよ。
   こう言って、M先生は万札を数枚、はだかでわたしの手に握らせた。
    ――ガンバッテください。
   Kさんも同様に祝儀を差し出した。俳文芸研究会後の酒席で、芭蕉会議を立ち上げる決意を伝えた際の一コマである。この研究会はわたしを国文学研究者の端くれに育ててくれた学者の集まりで、代表のI先生亡きあとの月例会は、わたしの研究室でおこなわれていた。
    ――ボクも身のほどを知るべき年齢になった。来し方を振ると、行く末は学者でも俳人でもない、その中間の道をさぐるのが自分に正直であるように思う。俳句を暮らしの杖にしたい人、学習を人生の糧にしたい人々にまじって、なろうことなら彼等の役に立ちたいと思う。
   お二人に申し上げたことは、おおむねこのようなことであった。仲間に古代史を研究するHさんがいて、御親戚の稲澤サダ子さんの句集『月日ある夢』(平成十四・二、文成印刷)をいただいたこともわたしの背中を押した。作者とは一面識もないが、青森県立女子師範を卒業した明治生まれの女性で、北海道で妻として母として、また教師として、生涯に五千句におよぶ俳句を詠んだ。卒寿を迎え、その子どもたちが三百数十句を厳選し、初の句集として母に贈ったのである。この世には美しい話があるものだと思った。

    春愁の思ひ過ごしと庭を掃く
    アカシヤの花の心を胸に挿し
    野に座せば吾も切株とんぼ来る
    腰紐の紅きをかくし木の葉髪

   このような句を遺した人の生涯が粗末であったはずはない。
   長く勤めた会社を辞し、カルチャー&エモーションをコンセプトに、カルテモという会社を立ち上げるといって、内藤邦雄氏が訪ねてきたのはこのころである。芭蕉会議が十年目を迎えると教えてくれたのは、彼のもとで芭蕉会議のサイトを一手に引き受けている向井容子さんである。この二人には感謝の言葉もない。
  ものごとには潮時というものがある。これまで何ができて、これから何ができるのかは仲間と相談して決めることになるだろう。評価は他人がするものだから。(平成28年12月6日)


# by bashomeeting | 2020-08-09 19:59 | Comments(0)

なぜ俳句を詠むのかⅨ◆感情表現をしたければ、心から離れよ

 俳句は17拍しかない。つまり短すぎる。だから、内容に手を入れると別の句になってしまう。そこで、ボクが教わってきたのは、手を入れるくらいなら捨てて振り出しに戻れということ。この「出直せ」という意味は新たに写実(事物の実際を写すこと)を試みよ、ということ。頭で作るなということ。
 宋代に編まれた漢詩撰集『三体詩』(1250成立)は、感情(心)を「虚」、カタチあるものを「実」と定義し、「実」の扱いが詩の品位を左右すると説く。俳句の世界でいえば、季題(季語)のほとんどが「実」であり、表現したいと願う感情(心)は「虚」である。「感情表現をしたければ、心から離れよ」というのは矛盾のようだが、その感情(心)をしっかり表現するには、季題(季語)をきちんと把握せよといっている。当然のことながら、添えるだけではダメであるということである。古典や近現代を問わず、独り善がりに終わらないための真実であろう。
 必要があって、他人の句に手を入れることはある。しかし、ボクにとって、それは国語教師として、正しい日本語表現にするためのアドバイスであり、他人の句を名句に仕立て上げるためではない。それほど傲慢ではないのである。

▶▶俳句はなんと不自由で、つまらない世界なのだろう。まじめに俳句を始めた人たちの中に、こういって句会から離れていく人は少なくない。そういう人々のために、こんなことを書き残しておくことにした。佳い句、悪い句はあるけれど、それは才能によるわけじゃない。


# by bashomeeting | 2020-08-05 12:14 | Comments(0)

この人の一句◆奥田卓司句集『夏潮』たかんな発行所刊


薄氷を跳ねて寄り来る雀どち
農継ぐは這ふことに似て田草取る
夕立やけふのもろもろ洗ひゆく
蝌蚪覗く校長次いで教頭も
青空のどこかが欠けて夏果つる
この空の裏の記憶や敗戦日
歩数計見て夕月へまた歩く
夕月や妻楽しげに稲架を解く
間伐の木へ結ふリボン斑雪山
灯取虫入りてにはかに雨の音
西瓜食ふ白き歯の子にある未来
稲刈るや来季はやめる米づくり
干鱈をかるく炙つて聞き役に
夕立を眺め老躯を休めけり
夜の障子孤児は人前では泣かぬ
雪の夜や己へ歌ふ子守歌
灯台へ行けと夏草揺れやまず
灯台も世事も小さし朱夏の海
我よりも健康さうな草を引く
神饌のほほづき午後の日を返す
流星やなほ母郷向く兵の墓
悲しみにある安らぎや遠銀河
白梅や生きてゆく日々清らにと

▶▶奥田卓司句集『夏潮』〈たかんな叢書第45編〉。吉田千嘉子序。自跋。名勝、種差海岸写真(岩村雅裕撮影)をカバーとし、自ら題字の筆をとる。序跋によれば、作者は昭和十二年(1937)に東京は小石川に生を享けるが、戦争で父を、空襲で母を失い、孤児同然の生い立ちの由。七歳で青森県の八戸の親族に引き取られ、若くして失意の底をのぞいたゆえか、教育者の道を歩む。現在も、俳誌『たかんな』編集長をはじめ、俳人協会青森県支部幹事、青森県俳句懇話会理事、八戸市文化協会常任理事等々、多くの役職にある。まさに人望の人と評して誤るまい。先達に対して失礼ながら、ボクは常々「失意」は人生最大の贈り物であると語ってきた。本当の人生(自分)はそこから始まる。「失意」を知った人だけが、自分に厳しく、そして優しく、結果としてすぐれた作品を生みだすのである。そんな人品を彷彿とさせる二十三句を選び出してみた。たかんな発行所、令和2年(2020)7月刊。


# by bashomeeting | 2020-08-03 15:25 | Comments(0)

GHQの検閲◆『近代俳句史と「第二芸術」論』始末(1)

 伊藤無迅著『近代俳句史と「第二芸術」論』(私家版)の「(三)『第二芸術』の刊行推移」(P114)に、「①ノーカット版(発表版)」が「昭和21年11月雑誌『世界』に発表」とあるのは誤りである。GHQにゲラ刷り二部を提出したものが検閲処分され、デリートされた「第二芸術」が『世界』に発表されたというのが正しい。

▶▶現在、伊藤無迅氏追福のために、俳諧・俳句研究機関や研究者及び俳人に、無迅遺著『近代俳句史と「第二芸術」論』の謹呈作業を続けている。上記の指摘は、無迅遺著が引用する川名大氏(かわな・はじめ。俳句研究者)の礼状に示された内容の要約である。その旨を記し、学恩に深く感謝する。
# by bashomeeting | 2020-08-01 15:25 | Comments(0)

なぜ俳句を詠むのかⅧ◆水を運び、薪(たきぎ)をとり・・・吾ものむ

水を運び、薪(たきぎ)をとり、湯をわかし、茶をたてゝ、仏にそなへ、人にもほどこし、吾ものむ。

▶▶伝利休聞書『南方録覚書』(16世紀末成立か)の一節。連歌俳諧の座の心得はこの茶道の心に異ならない。つまり、会席を支える作業に会者のすべてが奉仕し、暮らしに根付いた物心両面の成果を一会に持ち寄り、ことばによって確認し、そのすぐれた成果を共有し、寛容を学んで、日常に帰ることである。その手続きを厭い、志を持ち得ない者は参加に価しない。

# by bashomeeting | 2020-07-22 20:58 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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