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水を運び、薪(たきぎ)をとり、湯をわかし、茶をたてゝ、仏にそなへ、人にもほどこし、吾ものむ。

▶▶伝利休聞書『南方録覚書』(16世紀末成立か)の一節。連歌俳諧の座の心得はこの茶道の心に異ならない。つまり、会席を支える作業に会者のすべてが奉仕し、暮らしに根付いた物心両面の成果を一会に持ち寄り、ことばによって確認し、そのすぐれた成果を共有し、寛容を学んで、日常に帰ることである。その手続きを厭い、志を持ち得ない者は参加に価しない。

# by bashomeeting | 2020-07-22 20:58 | Comments(0)

 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。(下略)


▶▶『古今和歌集』「仮名序」冒頭の一節。〈乾坤の変と向き合えば、誰もが歌を詠む〉〈生あるものはすべて、見るもものや聞くものに託して歌にする〉という。誰もが知っている一節だが、「見るもの聞くもの」を〈漫然と見る、漫然と聞く〉レベルと思って、疑わない人が多い。そういう人たちの多くは〈実は見ていない、実は聞いていない〉人なので、自分の心にばかり拘泥して失敗している。31拍(モーラ)の短歌はいざ知らず、その約半分の俳句で自己に終始するのはきわめてむずかしいことだと思う。17拍という短さを武器に自己表現するための技巧は〈ことばを飾らない〉ということに尽きる。風流とか感傷に走ると、必ずことば数が増える。これを避けるために、俳句を〈省略の詩〉〈引き算の歌〉などという人もいる。



# by bashomeeting | 2020-07-05 15:51 | Comments(0)
〔訓読〕陳亢、伯魚に問ひて曰く、子も亦異聞有るかと。對へて曰く、未し。嘗て獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、詩を學びたるかと。對へて曰く、未しと。詩を學ばざれば、以て言ふこと無しと。鯉退きて詩を學べり。(下略)

〔通釈〕陳亢が伯魚に、「あたなは先生のお子様です。世間の親は自分の子供に対して特別な扱いをするものですが、あなたも亦、先生からわれわれとちがった特別の教えを聞いていますか」とたずねた。伯魚は次のように答えた。「今までそういうことはありませんでした。ただ、ある時、父が一人で縁側に立っている時、私がその前を小走りして父に敬意を表しながら庭を通り過ぎますと、父が呼び止めて、『鯉よ、お前は詩を学んだか』と言われたので、『まだでございます』と答えました。すると父は、『詩を学ばなくては人と話ができないよ。詩は人情の発露であり、言葉が洗練されて耳ざわりのよいものだ。詩を学びなさい』と申しました。そこで、私はすぐに引きさがって詩の勉強を始めました」(下略)

▶▶『論語』「季氏第十六」 13の一節。吉田賢抗著『論語』(新釈漢文大系1、明治書院、S35.5)から、読み仮名を除き「訓読」「通釈」を忠実に写し出したつもり。「陳亢(チンコウ)」は孔子の弟子「子禽(シキン)」(元服後の通称)の本名という。「伯魚(ハクギヨ)」は孔子の長男孔鯉(コウリ)の字(アザナ、元服後の通称)。よって「鯉」は伯魚に同じ。「對へて」はコタヘテ。「詩(詩経)」は中国最古の詩集で、黄河流域の民謡、宮廷歌、祭事詩を収める。伝存するのは、漢代の学者毛亨(モウコウ)によるテキストのみであるところから、毛詩ともいう。
# by bashomeeting | 2020-06-14 17:51 | Comments(0)
 詩を学ばなければ、他人(ひと)と話ができないよ。
 
▶▶掲出「無以言」の三字は「以て言ふこと無し」と訓ずる。座右の書である簡野道明講述『和漢名詩類選評釈』(大正3.10、明治書院刊)扉題の見返しにある、著者による墨書。典拠は『論語』「季氏第十六」 13。「詩を学ばなければ、他人(ひと)と話ができないよ」と解するために、次項「なぜ俳句を詠むのかⅥ」で少し補足したい。
# by bashomeeting | 2020-06-14 17:08 | Comments(0)
 お前には俳句を教えるのではない。人間を養うために俳句を教えるのだ。本当は人間が出来てから俳句を習う方がいいんだが、それでは間に合わんからナ。

▶▶高野素十が門下に説いた発言。長谷川耕畝「沐猴而冠」(モツコウジカン/モツコウニシテカンムリス)より抽出。長谷川耕畝著『俳人高野素十との三十年』(新潟俳句会叢書37、新潟雪書房刊、H15.12〉所収。ちなみに「沐猴而冠」の「沐猴」は猿の類の意。四字熟語は「外見は立派でも内実が伴わない人物の譬え」。いわゆる「項羽と劉邦」の項羽が、秦を破り関中(秦の都が置かれた地味豊かな地。陝西省)を手に入れたにもかかわらず、故郷へ錦を飾りたがる様子を見た武将が、項羽を揶揄したことば。人間の皮をかぶった猿、しょせん天下を治める器ではない愚か者。(史記・項羽本紀)
# by bashomeeting | 2020-06-13 18:30 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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